ゴー宣ネット道場

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切通理作
2015.8.6 05:38

「いま」と関わらせない歴史に意味はあるのか


 今日は広島に原爆の落ちた日ですが、この日に合わせて収録していた、長崎で被爆した母からのメッセージ動画を公開しています。

 https://youtu.be/5w92T6sBOJM 

 

 原爆が落ちてから70年目、かつて15歳だった母が「被爆者が日本から一人もいなくなる日も近い」という思いから、85歳のいま、呼びかけます。


 以前もご紹介申し上げましたが、長崎で被爆した母・狩野美智子と、戦後世代の息子・切通理作との対談『8¬5歳の被爆者 歴史を消さないために』の企画を進めています。

 もし興味を持たれた方は、以下の文ご一読下されば幸いです。

  http://osu.pw/adcc  

 

 ここ数日、原爆関連のテレビ番組も放映されています。

 昨日夜7時半放映のNHKクロ?ズアップ現代『ヒバクシャの声が届かない ?被爆70年 “語りの現場”で何が?』を見ました。

 

 被爆者の平均年齢が今年初めて80歳を越えたといいますが、番組は彼らが老齢から語る機会を持とうとしなくなったのではなく、彼らの声を聴く用意のあるたとえば学校が20年前から半減したと言います。

 
 自ら原爆ドームに赴き、積極的に証言集を読んだ若い小学校教師が「子どもにトラウマを与えたくない」という理由で、被爆者自身を証言者として呼ぶのをやめたことが紹介されます。この学校は6年前から被爆者の話を聴くのをやめています。

 

 一方、長崎の学校に呼ばれ生徒の前で被爆体験を語った男性が最後「個人の意見」と断った上で、被爆した自分は原発に反対だと言った途端、教師が話を遮りました。

 話が政治的なところに触れたからだと、後にこの教師は語っています。

 

 被爆体験を聴く機会を持ちながら原発の話を遮るこの教師はつまり、自身も原爆と原発が同じ「核」だという事を教育現場で教える事が出来ないという事を意味するのではないでしょうか。

 そして被爆体験を聴くという事を、3・11原発事故という「いま」と決して関わらせないという事は、「歴史」を「いま」と無関係なものとして教え続けるという事でもあるのではないでしょうか。

 

 番組コメンテーターの大学准教授(自らの祖父達も被爆したという)は、被曝者の語りを聴き平和の大切さを知るという事がもう定式化したから教育現場で求められなくなったと分析しました。

 

 しかし、もしそんな定式化が働いているとしたら、それはやはり、彼らの語る歴史を「いま」と関わらせないようにする力が働いているせいもあるのではないでしょうか。

 

 同番組では、ある被爆者の男性が、直接子どもたちに証言するのは押しつけなのではと悩み、まず教師に体験を説き彼らから斟酌して伝えてもらおうとしている姿が紹介されました。

 

 その伝え方の工夫には頭が下がりますが、私個人は子ども時代、先生の話より直に体験を語る大人の話が後々まで印象に残っています。

 彼らの話には、そのままでは教育上よしとされる事ばかりではないかもしれません。ノイズも混じっているかもしれません。しかしそれこそ、その人を呼んだ意味の核たる部分を教師がわかりやすく解説すればいいと思います。

 

 私自身、長崎で被曝した母との対話を通して、直接被曝した人間がいなくなっても、語り継ぐとはどういうことか模索しようと思っています。


 と同時に、いま生きていて、語りたいと思っている人との風通しをよくしたいとも思います。そして何より「いま」と関わらせない歴史など語っても、何も伝わらないと信じます。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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