ゴー宣DOJO

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トッキー
2016.3.19 01:27震災・原発問題

「学術的に厳密」な池田信夫に同意できない理由

久しぶりに
男性門弟の投稿を
ご紹介します!


池田信夫氏の「小林よしのり氏が知らない
リスクとハザードの違い」と題するブログを読みました。
おおむね、朝生での主張を詳述したものです。
同ブログを読んで、一部の知識人に対して、
頻繁に感じることを今回も感じたので、
それを書かせて頂きます。
池田氏は、要するに
「交通事故の方が原発事故よりやばいことを、
お前ら知ってるか?」と言いたいのだと思います。
池田氏が推薦している「環境リスク学」(中西準子)は、
受験生の小論文対策本としてもすすめられるような
有名な本であり、私も(類書も含め)
かなり前に読んでいるので、同氏が上記ブログで
訴えたいことは、理解しているつもりです。
しかし、(総体的には)ほとんど同意できません。
他方で、小林師範の言葉が、池田氏の言う学術的な
用法とズレていることは、かなり前から認識していました。
しかし、同師範が訴えたいことに違和感を抱いたことは無く、
強く同意できます。

どうして、学術的な厳密さを基礎に置いたはずの
前者の主張には同意できず、後者のそうではない主張には
強く同意できるのでしょうか?

かつて、「わしズム」という雑誌
(小林よしのり責任編集)がありました。
その寄稿の一つに、福岡伸一氏の
狂牛病に関する論考があります。
そこら辺の知識人とはひと味違った、
非常に総合的な視点からの考察でした
(その後、私は同氏の著作を何冊も買い求めました)。
同論考の中で、福岡氏は、狂牛病の危険性を、
交通事故を引き合いに出すがごときリスク論で語るのは、
未熟な議論である旨を指摘していたと思います。

確か、狂牛病を恐ろしいと感じるのは、
狂牛病が自然発生的なものというより、
一部の人間の経済合理性の追求により発生したもので、
まだ不明な点も多く、さらに、摂理を無視した
危険な肉を非選択的に摂取しているという状態が、
不気味であり、理不尽であると思わせるからだ、
というようなお話しだったかと思います。

自然科学の知識が不可欠な政策
(例:原発対策、狂牛病対策)は、
(一部の)データや(一応の)原理が
振り回されがちとなり、
社会的歴史的な視点からの考察が
抜け落ちた論考が多いと思います。
そのような論考は、「そうとも言える」と
感じさせるに過ぎず、説得力がありません。

一方、福岡氏の論考は、自然科学的な考察の他に、
歴史的な経緯や普通の人が現実に
どう感じざるを得ないかなどを踏まえたものであり、
非常に読み応えがありました。

さて、前回の朝生では、小林師範は、徹底して
普通の庶民がどう感じるかを議論のスタートにされ、
その上で、科学的なリスク(ハザード)について
言及されていました。
このように感情から論理まで幅広く抱え容れた
議論を展開できることが、他のパネリストや視聴者を、
小林師範の主張に聞き入らせてしまう
理由の一つなのだと思います。
私は、池田氏の原発に関する前回朝生での主張は、
上記福岡氏の論考に遠く及ばず、かつ、
小林師範の議論の説得力を何ら減殺してないと思います。
なお、10年くらい前の記憶なので、上記内容には、
私の勝手な解釈・混乱があるかもしれず、ご容赦ください。
ちなみに、私はまだ池田氏の著作を
買って読んだことはありません。

福岡氏は『わしズム』で、死者の数を
確率で扱うべきではないと強調しています。
人の死をただの「数字」に置き換えられるところに、
決定的な感性の欠落があると思います。

トッキー

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