報道の自由度ランキングで、日本が72位ということは、
報道で知っていたが、今朝の朝のワイドショーで、
初めて韓国が70位ということを知った。
それはない!
「反日」しか許されない韓国、「親日」的な言動や歴史観を
表明すると、罪人扱いされる韓国が、日本より報道の自由度が
高いという分析は、まったく間違っている。
そんなランキングでは、信ぴょう性が疑われる。
したがって、このランキングを100%信じるわけにはいかない。
やはり「攘夷」の視点は必要なのだ。
外国人の分析は、まんま信じることはできない。
だが、それでも、わしは日本の報道の自由度は下がっていると
思っている。
国防において、国家機密があるということは容認せざるを得ない
かもしれないが、それをジャーナリズムが暴くということは
あってもいい。
「特定秘密保護法」はそのへんの許容度が怪しいし、国民を
「何が秘密かわからない」という状態に置く危険性を、わしは
大いに危惧する。
「つんぼ桟敷」のままでは、国民は権力にどこに導かれるのか、
わからない。
わしは全権委任するほどには、権力を信じていないのである。
この「つんぼ桟敷」という言葉も「差別語」とされ、報道では
許されないのだから、自由度が下がっているのは当たり前だ。
言葉狩りという検閲がどんどん進んでいくのは、まさにマスコミ
による言論の委縮である。
ことほどさように、マスコミ組織人は同調圧力に弱い。
そんな弱いマスコミ組織人が、権力からの恫喝に抵抗できる
わけがないというのが、わしの認識だ。
マスコミ組織人は、リベラル大衆が下から突き上げる抗議や
バッシングにも弱いし、権力が上から圧を加える恫喝にも弱い。
「報道ステージョン」が局アナという組織人をキャスター
にして、後藤謙次という安倍晋三と会食する御用評論家
をコメンテーターに使いだした時点で、わしは「屈したな」
と見ている。
日本の報道の自由度は低下している。
いつかこのことが日本にとって大きな災いにならないことを
祈るばかりだ。