ゴー宣ネット道場

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倉持麟太郎
2017.1.23 05:36

民主制への敬譲と議院の自律というフィクションの崩壊

今日から、2017年の国会論戦が実質的に開始する。
今国会は、天皇陛下の退位問題、共謀罪、憲法改正、働き方改革、等々がテーマとなり、公法的な論点が目白押しである。

【あってはならぬ国民と陛下の断絶:憲法1条の正統性危機】
特に皇位の問題は、国会は、国民に議論を開示せねばならない。衆議院議長等の意見聴取につき議事録の聴取及び開示が問題になっているが、こんなことが論点になること自体論外である。
我が国は間接民主制を採用している以上、天皇陛下の地位が「国民の総意に基づく」と言えるための媒介は国会しかない。
主権者国民の「代表」でしかない国会議員と国会が、憲法制定権力たる国民と天皇陛下との法的”つながり”を断絶するなどということは許されない。

我々は、決定のプロセスに参加したからこそ、その決定に服することを承認するのである。
「旅行行こうよ!」と4人で決めて、1か月音沙汰無しかで突然電話がかかってきて「明日から南極にいくから」と全然行きたくない場所を言われても承服できないのと同じである。もしかしたらいけないことすらある。そうすれば、そのコミュニティから離脱するか、ひいてはそのコミュニティを破壊しようとするかもしれない。この「納得感」は、「共生」のため、及び統治技術としても重要なのである。
もし、退位問題につき、その議論の中核が国民に開示されないまま進行するようなら、その決定のプロセスから除外された我々はその決定に服することができないばかりか、「国民の総意に基づく」と規定した憲法1条の天皇の地位への正当化要求を満たさないだろう。

【嘘ばかりの退位問題についての法形式の話】
退位問題については、3月ころには各党から出そろった提案等について、政府も含めた大筋のコンセンサスが形成され、5月の法案化に進んでいく日程であろうか。
今のところ、審議の俎上にのぼる法形式として候補にあがっているのは、1.特例法2.皇室典範の附則に根拠規定を定める形で特例法制定3.皇室典範を改正する。
1の特例法は、皇位継承について憲法が皇室典範を名指ししているという憲法上の要請に反し憲法違反の疑いがあるし、2の方法は、皇室典範によらねばならないという点をあえて形式的に矮小化し、「皇室典範さえ変えれば憲法の要請満たしている」とするもの(「特例法による」という内容を書き込むことも皇室典範の改正であるから、ということ)であり、内実は特例法によることと変わらず、憲法2条の潜脱であり許されない。また、憲法41条による法の一般性原則にも反する。
したがって、退位の問題は、皇室典範本則の改正によるべきであるし、陛下のご意思からしても、本来この道しかないのである。

この点、最近ささやかれているのが、特例法に「●年以内に皇室典範の改正をする」という趣旨の「附則」を入れ込んだ形の特例法を制定する、という方式だ。
こうすることによって、数年以内に皇室典範の改正することについての義務が発生することから、法的義務として、しばりをかけることができる、という流れだ。
法的に数年以内の皇室典範改正を義務付けるんだからこれで安心、一件落着。野党も落としどころとして国民への見栄えも良い。
ちょっと待て
そんなことあるか
これは嘘である。信じてはいけない。

法の規定とは、その実行力、つまり強制力が担保されてこそ、真に規範性を持つ。借りたお金を返さなければ終局的には強制執行される、刑を侵せば刑事法廷を経て、強制的に刑事罰を受ける、これらの強制力があるからこそ、法の規範性は担保される。
しかし、法に罰則や強制執行の仕組みがない場合、どうやってその法規定を実現するのか。
答えは簡単である。
当事者に対する「信頼」だ。
つまり、「違反しないよね」という信頼のみによって成り立っているのである。
(国連を中心とする国際安全保障秩序がまさにそれである。強制執行機関がないから、基本的には信頼でしか成り立たない、つまり、非常に弱い拘束力でしか縛られていない。国連が権威はあっても権力は無いなどと言われる所以である。)

強制力によって担保されていない場合、これに違反しても、司法としてはなすすべ無し。違反しているという状態がそこにあるだけで、これを強制的に是正することはできないのである。

直近で現政権が行った例をいくつか挙げたい

【安保国会】
まず、2015年の安保法制に沸いた国会。最後は与党の絶対多数の採決により、法案は可決された。
この前日の2015年9月17日の参議院平和安全法制特別委員会の狂騒は記憶に新しいだろう。
審議が中断して、速記も止まっていたにもかかわらず(野球でいうとタイムの状態)、突然与党議員がどどっと議場に押し寄せ、鴻池委員長を囲んでいわゆる「かまくら」を作り怒号の中で採決がされたということになっていた。その直後の未定稿の議事録は、当時の状況を「議場騒然、聴取不能」とだけ記載されていた。当然である。

それが、それがである。この後に、一か月後に議事録として国民の前に出されたときには、議場騒然、聴取不能、とされている後に、「本日の本委員会における委員長復席の後の議事経過は、次のとおりである。」、「速記を開始し」と後から補足し、その後法案の採決も、附帯決議までも十全に行われたことになっているのである。そんな事実はない、事実でないことを書き加えた、すなわち、”ねつ造”である。
しかも、ねつ造したのは、小学生の小テストの点数ではない、「国会の議事録」である。
そもそも速記が「聴取不能」の中、何に対しての議決をとったのか対象も不明であり議決の不存在ではないか、という論点もあるが、速記が「聴取不能」となり、中断したまま終わったものを、事後的に”再開”させ、動議提出者の名前や会派が分からないまま附帯決議まで存在したことにしているのである。
さらに付け加えれば、国会では、議事進行における専門家や一般かあからの広い意見聴取として、参考人招致や公聴会を行い、意見聴取を行う。2015年の安保国会において、委員会採決の前日の9月16日に地方公聴会が行われた。地方公聴会は、”地方”に派遣委員だけが参加し、委員全員が参加するわけではないので、通常であれば公聴会後に委員会で「派遣報告」をし、公聴会の内容を委員間で共有しなければならない。そうしなければ、それが委員会の熟議の前提足り得ないからだ。通例、委員会で報告された後、報告会の議事録の末尾に「参考資料」として公聴会の議事録が添付される。

 既述のとおり、この地方公聴会直後の委員会は狂騒的な採決で幕を閉じたため、地方公聴会の「派遣報告」が行われなかった。これに対し、後日、野党の抗議を受け、派遣委員の報告を聴取せずに地方公聴会の速記録を17日の採決の議事録の末尾に添付したのである。この暴挙がどれだけの暴挙かお分かりだろうか。
参考人招致や公聴会を行っても、都合の悪い内容であれば、国会に共有・顕出させることなく、採決の後から添付すればよい。
採決の対象となる議題がわからないまま、速記が中断して採決が十全に行えなくても、事後的に速記が再開したことにして、すべての議題が可決したことにしてしまえばよい。
タイムをかけておいて、ストライクを投げ込んで、アウトと言ってしまえばよい。
なぜそんなことがまかり通るのか?

一方当事者が多数派だからである。
そして何より、それを是正・担保する制度が存在しないからである。

これらについては、その後、2016年5月17日の参院予算委員会でやりとりが行われており、参議院事務総長が、上記のような議事録の追加及び事態が起こったたのは「昨年の通常国会、9月17日の平和安全特の例、一件でございます。」と明確に答弁している。

首相が先日の施政方針演説で「言論の府」とうそぶいた国会で、憲政の歴史で、「一件」しかない暴挙を行ったのである。

上記の採決自体のプロセス、議事録の取り扱い及び公聴会の報告等々
は、国会法、規則、議院慣例等々に明確に定められた法的なルールである。しかし、これに違反したときに、提訴する等是正するルールが法律上存在しないため、完全な野放しである。

【臨時国会の召集】
加えて、安保国会閉会後の2015年秋に、憲法53条に基づき、野党は臨時国会の召集を請求した。
憲法53条には「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」との定めがある。4分の1以上で要求した場合は、召集「しなければならない」、法的な義務が内閣には課されている。
つまり、召集しなければ、違憲だ。
しかし、2015年秋、内閣は、野党からの憲法53条に基づく臨時会の召集要求が要件を満たしていたにもかかわらず、臨時会を招集しなかった。違憲である。
制度的に義務や禁止を規定しているにもかかわらず、それに反しているというのは、ほかの条文でいえば、国がいきなり何らかの宗教を国教化宣言し、政教分離に違反しているようなものである。
しかし、この違憲状態も、現行法制度上、裁判所に提訴する仕組みが不存在であるため、この憲法規律は空文と化した画餅である。
(※日本は付随的違憲審査制を採用しており、違憲審査権を行使するにも「事件」に付随してしか必要最低限度の範囲でしか行使できない。具体的に誰かの権利が侵害され、その権利救済に必要な限りでしか、違憲審査ができない。かなり雑駁な例を出すと、安保法制であれば、法案が成立しただけで違憲審査の行使はできず、例えば、自衛官が安保法制に基づく”存立危機事態”による防衛出動の命令に背き、処分を受けた場合に、この処分の適法性を争う限りで、根拠となった安保法制が違憲だ、といった具合でしか、違憲審査はできない。これに対して、ドイツ、韓国、コスタリカのような国は、憲法裁判所が設置されており、権利侵害とは独立して、抽象的一般的に憲法判断ができる「抽象的違憲審査制」を採用している。この抽象的違憲審査制を採用していれば、違憲審査の範囲は飛躍的に広がる。)。
この、臨時国会召集に関する憲法違反についても、なんらの是正がされることなく、放置された。
なぜか、違反者が多数者であり、これを是正する制度が存在しないからである。

首相は自らが「言論の府」として敬意を払う国会も、また、国会を国会たらしめる権能を授権した、なにより、首相自身が行使する過大すぎる権能を授権した憲法を無視している。

しかし、これを是正する制度が日本国法秩序上存在しない。

臨時会が召集されなかったことにより、具体的な誰か個人の権利が具体的に侵害されてはいないので、違憲審査による是正は不可能である。つまり、司法にこれを救済するオプションはない。

提訴等するなど、司法的救済は不可能なため、条文に違反している状態のみが残る。これでは、今度は事実を規律できない規範は人々から捨て去られてしまう。

国民はもちろん、国会議員はこのことをどこまで重く受け止めているのか。道理に反したことをやっているにもかかわらず抗議し続けないことは、黙認と推定されてもおかしくない。
起きた事象に抗議するとともに、制度上の欠陥を指摘し、そのエアポケットを埋める提案をなぜしないのか。

【民主制への敬譲と議院の自律権】
先に、「信頼」によって支えられていると書いたが、これは、法的空間におけるプレイヤーへの信頼もさることながら、本件の場合、「民主制」及び国民に正当性を直接付与された「政治部門」への信頼があるのである。だからこそ、司法権は、民主的決定に踏み込まない建付けになっているし(ドイツは、戦後、戦前の民主制への信頼の失敗をもって、憲法裁判所を創設し、抽象的違憲審査制に移行した。)、そもそも、我が国の民主政治の当事者は、このようなルール違反をしない、という、まさに信頼と、「民主制への敬譲」が存在する。
これはある種崇高であり、一方で、あまりにお人よしな憲法制度設計でもある。

民法における「書面によらない贈与」が日本だけの制度である(武士気質から、口約束だけでも必ず返すと信じられているというのが趣旨)、ということを参照するまでもなく、日本国憲法(及びそれに準ずる統治制度)には、「違反されたら是正する制度が用意されていない」という項目が非常に多い。
上記の例はそれを「悪用」された好例(悪例?)である。

また、この文脈で、「議院の自律権」というリーガルタームがある。
衆参両院=国会という議院は、主権者国民の代表であるから、高度の独立性=自律性をもっており、議院内部に関することに関しては自律的・自治的に決定ができ、その帰結として国会議員の不逮捕特権や免責特権も定められている。
裁判所も議院の自律権を理由に司法審査を控えるという強いタームであり、実際、子供のときの鬼ごっこのときの「バリア」のように、判例・裁判例においても、司法審査を遮断する強力な要素として、取り上げられている。
これもまた、根底には民主制への信頼が存在する。主権者国民の代表者であるから、議院内の問題は議院内で正しく解決する、多数派少数派、利害関係関係なく、議院の矜持として自浄能力を持っている、という「信頼」がそこにはある。
しかし、本当にそうか?今の国会は、多数派少数派関係なく、自己に都合が悪いことでも、議院の矜持と正義及び正しき法への奉仕の精神から、自ら是正するような自浄能力があるのか?
答えは、「否」である。そんな自浄能力はない。今の国会にそんな信頼や法の清き建前など一切通用しないし、期待してもいけない。

結局、上記のような法的な強制力の担保がない問題に対しては、現在までまったくの是正がなされていない。そのままである。

この意味で、より立憲的な憲法改正、つまり、民主主義を信頼しすぎない制度設計への憲法改正は、現代統治システムにおいて実はかなり必要性が高い。
多数派が多数派というだけで権力への節度なく横暴する現在、「多数派をもってしても動かせないルール」としての憲法に、これらの違反についての救済ルールを制度上創設することは、憲法の趣旨にもかなう。
戦後民主主義というお花畑に酔いしれている間に、民主主義の持つ諸刃の刃に丸腰で向き合っていた日本国民。本来立憲主義は民主主義と緊張関係にあり、また、時の多数者でも侵せないルールを定めるのが憲法であるという原則に立ち返れば、現代日本における統治を抜本的に見直すべき時が来ている。

【結語:附則などに騙されるな】
最初の議論に戻ろう。
もし「●年以内に皇室典範改正を行う」という附則などを規定したとしても、罰則や強制履行の手続があれば格別、そんなものがない中で、現政権がその法的義務を履行することを「信頼」することなどできない。これを信頼して、これを「落としどころ」などと思っている政治家がいれば、それはお人よしを越えて、ただの阿呆である。
そういう政治家は、誰もルールを破らないユートピアで執務すればよろしい。現在のような厳しい状況で、一人でもそのような政治家が存在することが、国民にとって有害である。与野党関係なく、そのような政治家は今すぐ退場していただきたい。
だいたい、交渉戦術として、”落としどころ”を「大人の交渉」のように掲げてはいけない。落としどころを初めから見据えた交渉は、必ず後退する。本件であれば、附則どころか、付帯決議くらいまで後退するのは目に見えている。
大人の交渉と銘打って真理や正義と戦わない姿勢は、経験や慣れとともに大切なものを差し出している。

以上のような提案が上程された場合、一斉にその欺瞞を指摘しよう。

皇室典範の本則の改正による退位制度の実現が筋なのであって、それ以外の主張は、認められないということを言い続けなければならない。

法技術的な観点からも難解な主張や提案がなされるであろうが、ここからが我々個人の力の見せどころである。「難しいから」「もっとわかりやすく」と言って補助輪を要求している間に、我々はこの日本社会を走り切る泳ぎ切る知的体力、知的足腰を失いつつある。
ここで踏ん張れるかは、我々の社会がどのくらいの底力をもっているかのバロメーターになる。
逃げてはならない。

倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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