ゴー宣ネット道場

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切通理作
2017.2.4 18:00

ある動画を視聴して

 かってゴー宣道場でいじめ問題が議題になって以来、時々いじめ報道が気になっています。 

 男子中学生が別の男子中学生を一方的に殴る蹴るなどの暴行を加える様子を撮影した動画がネットに出回り、その生徒の通う沖縄の中学校では当初「いじめはなかった」と発表していましたが、やがて教育委員会が会見で極めて重い人権侵害だと認め、既に被害生徒から被害届が出されていることも公表されました。

 

 「そんな動画を見るのは悪趣味だ」と思いながらも、事態が表沙汰になるには必要なプロセスであり、結果だけで物事を判断するのもよくないと思って、見てみました。

 そういう判断材料が得られる状態が、いいことなのか、わるいことなのかという逡巡はありながらも・・・。

 

 ですから、こちらのブログにはリンクは貼りません。検索すれば、いくらでも出てきますから、あえてする必要もないでしょう。

 

 その上で、僕が思ったことを書きます。現実に起った暴力のことですから、読むと不快になる方もおられると思いますので、事前にお断りしておきます。

 

 動画は2分強で、一人の男子生徒が、被害生徒を、フェンスぎわに追いつめ、殴ったり、飛び蹴りをくらわしたりするさまが続きます。

 被害生徒は、いっさい無抵抗であり、やられるままです。

 

 攻撃を加えている生徒は被害生徒よりも背は高そうですが、ひょろっとしており、そのパンチやキックはいかにも自己流で、武道の心得があるように見えないのはもちろん、喧嘩慣れしている感じでもありません。

 数分経ち、一人の生徒が間に入って、やめさせます。いじめ自体に対する仲裁ではなく「そろそろこの辺でいいだろう」というような制し方に見えます。

 この、最後に割って入る生徒はかなり屈強な体格をしてます。

 

 ここで、僕はあることを思いました。

 「攻撃している生徒は『やらされている』可能性もあるのではないか?」

 

 いじめで、いじめられっ子同士を「決闘」させたり、片方に片方をリンチさせるのを見世物にして楽しむ・・・というのはよくあることです。

 

 この動画は撮影している生徒が、映画監督よろしく「スタート!」とかけ声を言うところから始まっていて、隠し撮りではありません。攻撃している生徒の姿を、「あいつ日曜日に帰ってきたオジサンみたいな」「工事から帰ってきたオジサン」などと、撮影者が側に居るであろう別の生徒と笑いながら話している声も同時に録音されています。

 あからさまに被害者である生徒の方ではなく、攻撃している生徒の方を、笑い物にしているのです。

 これは、殴られる側と殴る側2人が見世物になっていることを意味しているようにも、感じられます。

 

 そもそも、これが単純に一方が一方を殴って蹴るいじめなら、こんなにあっけらかんと動画に収めるでしょうか。

 中学生にもなれば、いまの時代、いじめをして自ら証拠を撮影すればヤバくなることぐらい、想像がつくでしょう。

 

 おそろしいのは、殴る蹴る姿では直接映っていないで、この「見世物撮影行為」という状況を成り立たせている側なのではないでしょうか。

 

 これは、僕の推測にすぎません。確定的な事として言うつもりは、いっさいありません。

 本当に単純に、殴っている側も楽しんでやっているだけに見えますよという意見があったとしても、いまの時点では「違う」とは言い切れません。

 

あるいは「やらされている」要素があっても、本人含めその点は表面不問に付している「潜在的な力関係」があるのかもしれません。

 この事件は、そうした力学の存在も含めて、調査していく必要はあるんじゃないのかなという気がします。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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