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トッキー
2017.5.1 02:47ゴー宣道場

「権力分立と道徳的中立性の黄昏」を読んで。

ライジングコメント欄から、
ブログの感想をご紹介します!



倉持さんのブログ記事
権力分立と道徳的中立性の黄昏
を読んで。

どのようにして権力の制御装置が
解除されていったのか、
具体的なステップが示されて
腑に落ちるところ多く非常に勉強になりました。
読みながら思い出したのは
ローマ帝国の創成期で、
アウグストゥスの権力掌握に至る道のりは、
東アジア的な『皇帝』のそれとは異なり、
すでに法治国家としての歴史が長い
ローマの法律・慣習のなかに埋め込まれた
独裁阻止のための仕掛けをひとつひとつ
解除して達せられた史実です。

もちろんかの歴史的名君の偉業と
比べるべくもありませんが、
日本の大衆には権力集中・独裁への
警戒心が薄いことを利用して進められた
権力分立の無効化には
何か狡猾な意志を感じます。

違憲状態を解消するどころか
それに狎れきっていること、
メディアが権力への迎合を
隠しもしなくなったこと、
中央官僚の施策に地方が
抗う手段を持たないこと、
政権による天皇への明白な
侮辱も止められていないこと、
自民党の変質など、
一時は世論が盛り上がることは
あってもすぐに風化して、しまいには
「多少の問題はあれど仕方ない」
といった言論人・学者による
現状追認が支配的になっていく。
気付けばこれら一つ一つの事案が
相互に響き合って権力の集中
(とそれに続く腐敗)が
進行しているわけですね。

どうも根の深い社会的な持病の
ようにも思えて、日本型の立憲主義
というものが果たして確立し得るのか
心もとなく感じてしまいます。
といってアメリカ型のような
厳格な手続き重視もうまく
日本に適合するとは思えず
(そもそも統治概念の輸入は不可能か)、
しばらくこの問題について
頭を悩ませつつ倉持さんの次の記事を
楽しみに待つことにします。
(randomtraderさん)


何でも「お上まかせ」にして
安心してしまうのが
日本人の国民性だとすれば、
日本型の立憲主義も民主主義も
成立するのかと根本的な疑問が
湧いてしまいます。
確かに根深い問題です。

トッキー

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