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トッキー
2017.8.28 02:05その他ニュース

表現者と倫理

映像業界勤務の門弟からの
投稿をご紹介します!



どうしても映像業界からのお話になって
しまいますので、違和感やショックを
与えることになるかもしれませんが
ご容赦ください。

表現者と倫理という問題を考えた時に
いつも頭に浮かぶのは、人気のある
アニメ監督は大抵が女性関係が派手
だったなぁ、ということです。

『となりのトトロ』や『もののけ姫』などを
監督したスタジオジブリの宮崎駿監督が
『紅の豚』を制作している当時、
その作品に登場する女性キャラクターの
マダム・ジーナとフィオのモデルとなる
人物が実際に宮崎監督の側にいたという話は
業界内でも有名でした。

また、『あしたのジョー』や
『ベルサイユのばら』などで日本独自の
アニメーション演出手法を確立した
出崎統監督はバツ3で、
『タッチ』(原作:あだち充)や
『銀河鉄道の夜』などを監督した
杉井ギサブロー監督はバツ1で、
僕が出会った頃にはすでにいい歳をした
お爺ちゃんで女性関係は大人しくなった
とのことでしたがフィリピンパブが
大好きだったり(私の記述だとただの
助平爺さんになってしまいますので
念のために擁護しますが、杉井監督は
キャリアスタートとなる東映動画入社時は
宮崎駿監督の先輩で神童アニメーターと
もてはやされていたそうです。
また、演出家に転身した後も宮崎監督と
同じスタジオジブリの高畑勲監督が
演出家として唯一ライバル視していた
存在でもあったそうです)。
また『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督は
離婚歴はありませんが、赤いスポーツカーを
乗り回し、フィルムチェックの時は制作の
女の子を膝の上に乗せてからでないと
チェックをしてくれなかったそうです。

みなさん才能があるからモテると
いうのもあるとは思いますが、それ以上に、
付き合う女性たちからその時々の時代の風や、
関係性から生まれた体験で自らの表現の幅を
広げていったことは間違いないと思います。
そしてその磨きの掛かった表現の光に、
また女性が吸い寄せられていくという。

なんとなくその構造を理解していたからか、
遠目から見る分にはアニメ業界の
女性スタッフも寛容というか
「お盛んですな」という笑い話として
捉える人が多かったように思えます。

そのため、私個人としても
「公私ともに品行方正でつまらない作品
しか作れなくなるくらいなら、むしろ
私生活は派手だろうが破綻していようが、
表現者というものは表現のきらめきで
世間に応えて欲しい。
女性関係(もしくは女性クリエーターに
とっての派手な男性関係)については
周りに影響が出過ぎない程度にどうぞ。
それに元々、真っ当な感覚の人間は
表現者にはならないし、なれない。
どこかが歪んでいたり、欠落しているから
表現という形で自分を救うしかない。
それがたとえ世間的に不道徳な表現で
あったとしても何かしらの普遍性を
持つからこそみんなに受け入れられる
という存在が表現者」という感覚でいます。

アニメ業界に関わらず、
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』という
フレーズで、笑いとともにある種の人間の
本質をあぶり出したビートたけしにしても、
あれだけ宮沢りえや細川ふみえといった
女性たちと数々の浮名を流しながらも
世間に受け入れられ続けているのは、
その表現の持つ切り口や世界を見る視点が
その人間でしか持ち得ないとみな
気づいているからだと思います。

小林先生がもし政治家として税金から
歳費(給与)をもらい、公僕として公の
発言をしていくというのであれば、
確かに公の主張は私の領域とともに
一貫していなければならないようにも
思います。
また、世間が許すこともないでしょう。

ただ、フィクション作品での
『東大一直線』や『おぼっちゃまくん』
など、社会風刺を含んだギャグ漫画という
表現で世間に切り込んでいくことや、
ノンフィクション作品の
『ゴーマニズム宣言』における
『差別論』や『脱正義論』、
『戦争論』や『天皇論』といったその
時々の世間に対して、溢れる情念と
緻密な論理で庶民から政治家に対してまで
問題を提起することができるのは
今の日本で漫画家・小林よしのり
ただ一人だと考えています。

大変不敬な言い方になるかもしれませんが、
皇室の女性宮家創設・女系天皇容認の
問題に関しては、問題提起をさらに
世間に広げ、輿論を喚起していくことの
できる人は小林先生の代わりにも
大勢いると思います。

しかし前述との重複にもなりますが、
問題の提起となる取っ掛かり自体を
論理と情念で立ち上げるという仕事は
表現者・小林よしのりでしか
成し得ないと思います。
もしも公の主張との一貫性を私的領域に
まで求めて表現者としての小林よしのり
を殺すくらいならば、私は小林先生には
皇室の問題から距離を置いて頂いても
構わないと思っています。
本来は良識のある政府であれば、
皇室の問題は承詔必謹の名の下に全く
問題にもならなかった問題のはずであり、
今後も良識のある国民皆でお支えして
いけば良い問題のはずだからです。

それを許されないという状況にまで
追い込んでしまっているのが現代の日本
(厳密には政府、並びに男系絶対派)の
大きな歪みであり、わざわざ小林先生への
私的な領域へ非難の目がいくというのも
おかしな話だろうと思ってしまうのです。

小林先生には、まだまだ世界をガラリと
変えてしまう仕事をされるのだろう
という期待でいっぱいです。
『大東亜論』の完成の暁には、
もしかしたらタダレきった現在の
日韓の関係も大きく変化しているかも
しれないと感じたりもするのです。



実は先日の生放送でよしりん先生が
「私生活で男尊女卑を貫きながら、
公的には男尊女卑を否定する」

と発言したことに対して、
一部の女性門弟から、それは
一般的には無理なことであり、
私生活で男尊女卑を貫いている人が
公的領域で男尊女卑を否定しても
説得力はないという意見が寄せられていて、
この投稿はそれに対する男性門弟からの
反論になっています。


公と私が完全に一致することはないし、
私心には育ってきた環境などで
動かしようのないものもあるし、むしろ
それゆえに優れた表現が生まれてくる
という現実もあるわけで、
考えなければならないことは
まだまだあると思います。
トッキー

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