ゴー宣ネット道場

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倉持麟太郎
2017.10.5 11:23

永久脱毛と解散権の制限

●解散権の行使は「首相の専権」?フリーハンドの解散権

学説をざっとおさらいしたい。

憲法上、解散についての規定は69条と7条にしか規定がない。解散がどのような場合にできるのか、という解散の要件についてということになれば、69条にある「内閣不信任案が可決されたとき」という規定しか存在しない。通説によれば、この規定は、内閣不信任決議が可決された場合には解散されるということを規定しただけであって、解散できるのは69条の場合に限られない。そうすると、7条解散に流れていくわけだが、この場合、「内閣の助言と承認」に基づいて行われるわけだから、実質的権限は内閣にある(あくまで内閣に帰属するのであって「首相の専権」と書いているマスコミは誤報である。)。

69条の場合から解散を解き放ってしまうと、解散権の行使にあたって、制限がないように思える。そこで、通説は、解散権とはなんのためにあるのか、ということに立ち戻って、なんとか「不文律」による制限を加えようとしてきた。

 解散権は、選挙を通じて民意を反映するという、民主主義が根底にある(古いモデルでは、議会と政府の権力の「均衡」を本質としていたが、政治部門の緩やかな連帯を前提とする議院内閣制では、民意の反映が本質である)。

 「内閣が国民に信を問うにふさわしい理由が必要だ」ということになる。

 そこで言われる、「解散権の限界」としては

 ・衆院で内閣の重要案件(法案、予算案)が否決され、または審議  未了になった場合。

 ・政界再編等により内閣の性格が基本的に変わった場合

 ・総選挙の争点でなかった新しい重大な政治課題(立法、条約等)   に対処する場合

 ・内閣が基本政策を根本的に変更する場合

 ・議員の任期満了が接近している場合

 などに限られると解するべきであり、「内閣の都合や党利党略で行われる解散は、不当である」(芦部信喜「憲法」)

 森友・加計問題から逃げ、加えて、9月25日に語られた消費増税や北朝鮮が解散の大儀たりえないことは以前も触れたとおりであるとすると、今回の解散は、選挙をするタイミングとして最も良いという観点が最大の理由であるとすると、まさに「内閣の都合や党利党略で行われる」解散であり、「不当である」。憲法7条にもあるように解散は「国民のために」行われなければならないはずだ。

 しかし、現状の制度及び運用上、これに歯止めをかけることは憲法上できない。

 ここに、近時話題となっている、憲法改正(等)による解散権の制限論が出てくる。

 一方で、私は、解散権制限論には、もろ手をあげて賛成はできないところがある。条件付き賛成といったところだろうか。

●副次的効果

少し目線を変えたい。衆議院議員の方々を見ていると、とにかく選挙に脅えている。特に、期が若い人は、前回は「風」が吹いて勝ったかもしれないような人は、次の選挙の保障がなければ、徹底的に選挙に勝つことに近視眼的になる。

これでは、政策を勉強したり、何か専門分野をじっくり時間をかけて磨いたりすることは到底できない。

いつくるかわからない選挙に勝つことに集中すれば、地元に帰って盆踊りを回ることが最優先事項になるし、何より、選挙に勝つことにあまりに近視眼的になれば、党の公認権という人事権がさらに力を増す。選挙に勝ちたいならば党(政権)に批判的なことを言うべきではない、という形で、ひいては一人一人の政治家の言論統制までできてしまうのだ。

 ただただ数あわせのための無能な政治家の増産ではなく、能力ある政治家を育てる、専門分野に特化した政治家を創り出すためにも、解散権の濫用をセーブするような仕組みは求められるかもしれない。

●抜き打ちのデメリット

 安倍首相による2014年及び今回の解散に非難が集まるのは、(あくまでそのような分析として)自身が勝ちやすい時期を選んだ恣意的な解散であることが言われた。

そもそも国民の信を問う場合、与党はその政権担当期間に行った政策への評価と、将来への展望を打ち出し、判断を仰ぐ。野党は、与党の政策のオルタナティブとしての政策を提示し、政府の失敗を含めた総合的判断を国民に仰ぐ。

野党が準備できていな時期に解散をされてしまうと、この選択肢が提示されない可能性もあり、たとえ政府が失敗していたとしても、国民はオルタナティブを選ぶ契機を失ってしまう。終局的には、権力が一方に滞留しないことによる健全な民主主義を育むということからしても、決定的な損失だ。

野球でバッターが構えていないときに投げてしまう、相撲で時間いっぱいになっていないのに取り組みを始めてしまう、これはフェアではない。

 したがって、このような「民主主義が十全に機能する前提を確保するための制限」はする必要がありうる。

●解散は国民が参政権を行使できる機会が増えること!

 一方で、解散権制限論にもろ手をあげて賛同できないのは、衆議院が解散されて、選挙があれば、コストの問題等はおいておくと、民意を反映する機会が増え、民主主義のダイナミズムがより細かく反映する機会が増えるではないか、と考えるからである。

 男で髭の永久脱毛をしている人がいると聞くが、たしかに、私も肌が弱く毎回髭を剃ると顔が血まみれになってしまうので髭を「残している」が、永久脱毛したらなんて楽か!と考えもするが、髭を生やしたくなったら、もしくは、髭を生やすべきできあるという文化圏に身を置かざるを得なくなったらどうするのだ!と思い、永久脱毛なんかする人間の気がしれない(←ほんとか)。

 おそらく、本当に可及的速やかに民意を問うべきときはあるだろう。私などはアグレッシブな性格なので、選挙のたびにワクワクするが、それは脇においても、任期満了や不信任決議のときのみの解散だけでは、民意の反映に悖るのではないだろうか。

 したがって、解散権を制限するとしても、上記のような民主主義における民意の反映と政権の選択の前提と本質を制度的に担保することのみにとどめるべきである。

 具体的には、

 ・解散の際に、国会による議決(3分の2か4分の3)にかからしめる(自主解散)

 ・就任から一定期間は解散ができないような時期的制限を設ける

 ・解散総選挙の際の期間を2か月程度設ける

 ・解散の意思表明を義務付け、そこから解散までに言って期間を設ける

 ・解散の意向表明以後に、解散理由について衆議院で審議を行う(下2つは木村草太教授による)

また、これらは、必ず憲法改正が必要かどうかも精査が必要で、木村草太教授が提唱しているように、内閣の解散権を制限するものではなく、あくまで手続きを定めているだけだ(木村草太教授)、と考えれば、法律の制定・改正のみで可能かもしれない。

●選挙全能主義からの脱却と、我々が民主主義のプレイヤとして「大人」になるという近道

 いまだに民主主義の源泉は何よりも「選挙」という意識が強い。

 第25代自民党総裁である安倍晋三氏だが、今までで在任中に(衆参あわせて)選挙が3回あった総裁は6人。3連勝した総裁は安倍晋三のみ。そして、2016年の参議院選挙で4連勝。前人未踏の領域に突入するとともに、安倍晋三のパワーの源泉は、選挙だ。

 選挙制度改革を含めて、選挙以外での民主主義の発露を増やし、選挙至上主義からの脱却、そして民主主義の選択肢・オプションの潤沢化が真の問題であり、活路ではないか。

 その中で、解散権に一定の制限を設けることも、可能性としては模索するとしても、まずは、我々一人一人が、「権力にはかならず同じくらい強いカウンターがいなければ権力は腐敗する」との前提のもと、健全なオルタナティブを育てる。そして、選挙で権力を交代させるダイナミズムを理解する。この視点と素養が国民一人一人に欠けていれば、解散権にいくら制限をかけても、任期満了の選挙で同じ結果が繰り返されるのみで、この国の民主主義の再定位に、なんらの意味をもたらさない。むしろ、「解散権を制限」すれば、何か民主主義や立憲主義が十全に機能するというものではないし、そのような妄信に陥るくらいならむしろ有害である。この点は、憲法裁判所の創設とは圧倒的に違うところである。本当に国民が「大人」な態度で健全な野党を育て、良識ある選挙行動をすることができる「個人」になれれば、解散権がいくら濫用されようが、毎回権力者は選挙に負けるのではないだろうか。

 現在のように、権力への自己投影によって恍惚感を得ることを恥じない国民が多数では、いつまでたっても、我が国の「個人の」は民主主義のプレイヤーたりえない。

 この議論が、逆噴射して、立憲主義や民主主義の停滞を生まないよう、我々「個人」一人一人の民主主義に対する態度の再考とともに、解散権の制限を語りたい。

 

倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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