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高森明勅
2017.10.13 22:00

和を以て

聖徳太子の「憲法十七条」。

津田左右吉以来、学界にはその信憑性に
疑問を投げ掛ける声があった。

しかし近年は、細かな表現における潤色はあっても、
その骨格まで疑う必要はないとの見方が有力だ
(東野治之、
吉村武彦、石上英一など)。

それを踏まえて、
これまで余り注目されていない点を1つ、
指摘しておきたい。

それは冒頭、“総論”的な性格を持つ、
第1条から第3条までの、
条文の「配列の仕方」だ。

第3条に「詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては
必ず謹(つつし)め(原文は、承詔必謹)」
とある。

言うまでもなく天皇の「詔」の絶対性を強調した条文だ
但し詳しく言うと、同憲法が制定された推古天皇12年
西暦604年〕には未だ「天皇」という称号は成立していないが)

古代統一国家を確立する上で、極めて重要な意味を持つ。

にも拘らず、“第1条”には据えられていない。

その前の第2条には、
「篤(あつく)く三宝(さんぽう)を敬え」
とある。

仏教を敬重せよ、と。

これは、謂わば当時における
普遍的価値」の尊重を示す条文だろう。

憲法十七条は、「承詔必謹」より
仏教尊重を優先している(この事実は、
同憲法が律令制下の
捏造でない証
拠の1つ、とされている)。

では、更にその前の、第1条は?

 「和(ワ又は、やわらぐ)を以(もち)て
貴(たふと)しとなし、忤(さか)ふること無きを
宗(むね)とせよ」と。

漢籍の『礼記(らいき)』や『論語』に似た表現がある。

「礼は之(こ)れ和を以て貴しと為す」(礼記)
「礼の和を用(もち)
て貴しと為す」(論語)と。

そこから、儒教の「礼」に基づく調和や和合を、
理念として掲げた条文という理解が、
一般的だ。

しかし、そうではあるまい。

何故なら「礼」の重要性は、
第4条に回されているからだ。

「群卿(ぐんけい、上級官人)
百寮(はくりょう、中下級官人)、
礼を以ちて本(
もと)とせよ」と。

だから、儒教の文脈とは一先ず区別して理解すべきだ。

憲法十七条は、儒教的な「礼」より天皇の詔の絶対性を優先し、
それより普遍的価値としての仏教を優先した。

それらの全てより、更に重視されたのが第1条。

そこには、どのようなメッセージが込められていたのか。

条文全体の趣旨は概ね以下の通り。

「人は皆、徒党を組んで仲間内だけの意見に偏りがちだ。
大局を見通している者は少ない。
だから、
何かとトラブルを起こし易い。
しかし、上下が
(党派性や先入観、偏見を捨てて)
仲良く議論すれば、
その結論は自ずと道理に叶う。
そうすれば何事も上手く成し遂げられるに違いない。
だから、
互いに穏やかに心を合わせ、むやみにいさかいを
しないように」。

これは、一言で言えば「議論の勧め」だ。

虚心坦懐(きょしんたんかい)に議論をすれば、
必ず良い結論を見つけられる、と。

いささか意外かも知れない。

一般には、「和を以て尊しとなす」という、
少し変形した表現“
だけ”が知れ渡っている。

だから、普通は
喧しく議論なんてしないで、とにかく仲良くしよう」
といった意味合いで受け止められているのではないか。

しかし、それは逆だ。

しっかり議論しよう、
と言うメッセージ。

誰しも大局はなかなか見通せない。

ややもすると先入観や偏見、
党派根性などを持ちがち。

人は皆、不完全な存在。

だからこそ議論が大切だ。

その場合、相手に敢えて逆らおう、
という姿勢では不毛。

そうではなく、「和」の精神で討論をするのが肝要、という教えだ。

これを、憲法十七条は優先して、
冒頭に置いている。

聖徳太子の卓越した見識は驚くばかりだ。

と同時に、こうした条文を生み出し、
それを最優先させる伝統が、それま
での日本の社会にあったと
考えるべきだろう。

多様性を前提とした、寛容と議論の伝統
(日本の神話にも八百万〔
やおよろず〕の神々が集まって
議論した様子が描かれている)。

その伝統を明確に自覚し、
改めて理念化したのが天才、
聖徳太子だったろう。

ちなみに、この第1条は最後の第17条と対応している。

そこにはこうある。

「夫(そ)れ事は独断すべからず。
必ず衆と論(あげつら)
ふべし」。

大切な事は1人で勝手に決めてはならない。

必ず衆議を尽くして決定すべきである、と。

ここでも、人間の不完全性への自覚を背景に、
知恵を出し合う事の大切さが強調され、
独裁は徹底して斥けられている。

或いは、別の条文に次のような趣旨の言及もある。

相手の意見が自分とは違うからと言って怒ってはならない。
人は皆、それぞれ心を持っている。
心があれば、
それぞれに自分が正しいと執着している考え方がある。
相手が正しいと思っても自分には間違いとしか思えず、
又その逆もある。
しかし、意見が対立した時には錯覚しがちだが、
自分が飛び抜けて優れた人間であったり、
相手が格別劣った人間であったりする訳ではない。
どちらも、
優れた部分と劣った部分を共に抱えた、
平凡な人間に過ぎない」(第10条)

透徹した人間観であり、それに立脚して、
建設的な議論に欠かせない寛容の大切さを説く、
貴重な指摘だろう。

現代の私どもが「保守」すべき「伝統」とは、何か。

その1つは、間違いなくこのような規範を生み出す
社会的背景となった精神であ
り、こうした規範が育んで来た
価値そのものだろう。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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