ゴー宣ネット道場

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笹幸恵
2018.1.15 17:09

声をあげられなかった20代

トッキーがブログで投稿してくれた

「リボンの騎士」さんの「#me too」および

カトリーヌ・ドヌーヴの反論に関するご意見、

いろいろと考えさせられました。

 

こういうセクハラに関する話で思い出すのは、

まず自分のセクハラ体験だ。

このブログでも書いたことがあるかもしれないし、

「淑女我報」でしゃべったこともあるかもしれない。

小学校の低学年で、親に連れられて電車に乗ったときに

痴漢に遭った(当時はそれが痴漢であると気づかなかった)。

高校生のときも電車に乗れば必ずといっていいほど痴漢に遭い、

道を歩いていてもすれ違いざまに痴漢に遭い、

家の前で車に引きずり込まれそうになったこともある。

社会人になったらなったで、取材先のおじさんに

ありとあらゆるセクハラを受けた。

早く年を取りたかった。

「オバサン」になれば、誰も相手にはしないだろう。

それしか解決策は思い浮かばなかった。

仕事がスムーズに運ぶよう彼らに愛想笑いを浮かべながら

何とかかわそうとする自分にも嫌気がさした。

 

あれから十数年が経過して、めでたく「オバサン」になった。

あのときの記憶は普段は思い出さないけれども、

決して忘れない。とくに取材先のおじさんについては、

誰一人として私は忘れていない。

恐怖と羞恥がない交ぜになった感情を、

「男はそういう生き物だから」と呑み込むことなどできない。

要するに、今でも「くそったれ!」と思っている。

そして自分が今、あんまりセクハラされなくなったからといって、

「女もうまく立ち回らなければダメよ」なんて言う気は毛頭ない。

イヤなものはイヤなのだ。

セクハラに理解あるような態度をとる女が賢いと思う女も胡散臭い。

 

カトリーヌ・ドヌーヴをはじめとする、

「#me too」運動への異論には、

「ただ誰かの膝を触っただけ、あるいは誰かをキスしようとしただけで、

多くの男性が問答無用に罰せられ、職を追われてきた」

「強姦は犯罪だが、誰かを口説こうとするのは

(たとえそれがしつこくても、あるいは不器用でも)犯罪ではない」

と書かれている。

もちろん行き過ぎた運動が排他的になり、くそみそ一緒(失礼!)に

糾弾されるのは問題があるだろう。

でもね、「誰かにキスしようとしただけ」ってあなた、

立派なセクハラでしょうよ。

誰かを口説こうとするのは、全く次元の違う話でしょうよ。

というか、「これでは誰も口説けなくなってしまうよ!」と

悲鳴をあげるのが男性なら話はわかるけど、

なぜ女性が女性の前に立ちはだかって男性を庇うのだろう。

さっぱり意味がわからない。

 

女の強さとは、圧倒的な男性社会において、

男と対等になろうと張り合うことでもなく、

男をうまく操ってのし上がることでもない。

妙な忖度をして男に理解を示すことでもない。

理不尽な暴力に対して声をあげることができるのは、

立派な「強さ」の一つだ。

20代のとき、ついぞ声をあげることができなかった私は

つくづくそう思う。

・・・以上、真夜中のつぶやきでした。

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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