ゴー宣ネット道場

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高森明勅
2018.2.28 22:00

「激論!サンデーCROSS」補注

2月25日放送のTOKYO MX「激論!サンデーCROSS」
は幸い好評を得たようだ。

担当のプロデューサーとは以前、同局の「西部邁ゼミナール」

出演した時に会っていた。

様々な配慮が行き届く好青年。

時間の制約で舌足らずに終わったのは、
わが力量不足を反省している。

対論相手の百地章氏は「歴史上、先人は“男系を守る為に
”懸命の努力をして来た」と主張して、
具体例を挙げられた。

しかし、それらは歴史学上の知見とはかけ離れている
と言うよりむしろ正反対)。

それを番組中、私が手短に説明したところ、
同氏は、
私自身の特異な孤立的見解と勘違いされたようだ
(それ自体は、
同氏の専門外なので、やむを得ないとも言えるが)。

そこで念の為に、出典の一部をここに掲げておこう。

(1)継体天皇の即位は「入り婿(むこ)型の皇位継承」。
地方出身の継体(天皇)を皇位継承者として認めた中央皇族、
豪族は、仁賢(にんけん)天皇の皇女で、雄略(天皇)の孫、
いわば血統に誤りのない女性である手白香(たしらか)(皇女の
ひめみこ=日本書紀の表記)を継体の皇后とした。

その意味するところが、手白香の子はまぎれもなく、
皇室の血を引
くことになるから、その人物を天皇に頂くならば、
皇室の血統が確かに受け継がれるということにあるのはいうまでも
あるまい」

「継体を天皇とするのは手白髪命(たしらかのみこと=古事記の表記)
を皇后とすることを条件としていたことを…(
古事記にある、継体天皇
を手白髪命と結婚させることでその即位を認めた、
という記事)は物語
っている」

血筋が男系によっても女系によっても伝わることは当然のことで
って古代人はそれをはっきり認識していたのである」(角林文雄氏
『日本古代の政治と経済』)

「(古事記に)『手白髪命と合(あわ)せて(=結婚させて)、
天下を授け奉りき』
とあるように、かれ(継体天皇)は、前の王統の
皇女をめとって入り婿的な立場で即位した」
水谷千秋氏『謎の大王 継体天皇』)

「継体(天皇)とその子孫の婚姻関係をみると、当時の王族の意識に
おいて前王朝の娘との結婚が、
王位継承の正当化にはたした重要な役
割がうかがわれる。
とくに継体の子・孫が、前王朝の娘との結婚を繰り返したことは、
そのことをよく示している」
(吉田孝氏『歴史のなかの天皇』
同書では「入り婿型の王位継承」
と表現)

(2)光仁(こうにん)天皇の即位は(それまでの直系だった)
聖武天皇の血統を女系で継ぐ子がいたのが大きな要因。

「光仁(天皇)の擁立自体は、便宜的な措置にすぎない…彼は、
聖武天皇の血統を女系で継ぐ)他戸(おさべ)(親王)の父である
が故に即位することになったまでであって、
主役は他戸であった。
つまり、
光仁は他戸が将来即位するまでの中継ぎの役割である」
河内祥輔氏『古代政治史における天皇制の論理』)

「傍系の白壁(しらかべ)王(=光仁天皇)が即位できたのは、
白壁王の妻(
井上内親王)が聖武天皇の娘で、白壁王とのあいだに
他戸親王が生まれていたからであった。
朝廷貴族の意識では、父方だけでなく母方も重要であり、
必ズ人ハ、父ガ方(かた)、母ガ方ノ親アリテ…』という双方的
bi‐lateral)な親族意識が強かった。
光仁が即位できたのは、子の他戸親王が母を介して聖武(天皇)
血統につながっていたからであった」
(吉田氏、前掲書)

番組中に一言か二言位しか喋らない場合でも、
一応、
上記のような典拠を踏まえて発言しているつもりだ。

百地氏が語られた「歴史」は、
残念ながら殆どファンタジーに近い。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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