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笹幸恵
2018.3.26 15:28

安全保障政策は内閣法制局の憲法解釈に左右される?

 今日の読売新聞では、「自民党改憲案識者に聞く」というお題で、

元経済同友会幹事の高坂節三氏、元総務省の増田寛也氏、

専修大教授の棟居快行氏、それぞれに意見を聞いていた。

 

9条の2を新設する案についての意見に絞る。

 

高坂氏は、「自衛隊を憲法に明記する意義は大きい」とし、

9条2項の維持は公明党の了解を得るためにはやむを得ないという立場。

自民党の政治屋と基本同じのようだ。

 

増田氏は自民党案を「議論のスタートに立ったという点で意味がある」としている。

9条2項を残すことで自衛隊が戦力か否か、という論争は続くが、

合憲か違憲かという神学論争からは抜け出て、

日本の平和主義と、国際協調主義をどう調和させていくかの

議論の土台になると述べている。

 

棟居氏は、9条2項維持は「日本の平和ブランドを守る意義があろう」と

しながらも、こう指摘している。

「一方、この案だと、本来は軍事的専門性の視点から議論されるべき

安全保障政策が、内閣法制局の憲法解釈に左右される懸念がある」

 

さりげなく書かれているけれど、

棟居氏のこのコメントは重要な指摘なのではないかと思う。

 

増田氏も言うように、9条2項維持では自衛隊が戦力か否かという論争が続く。

するとどうしたって“解釈”に頼らざるを得ない。

きちんと戦力(=軍隊)として規定し、何ができるか何ができないかを

はっきりさせていないから。

たとえば攻撃型空母(そもそも「攻撃型」という言葉もよくわからないけど)も、

軍事的専門性の視点で必要なら持てばいい(本来ならば、の話)。

それは軍隊の運用とか予算、安全保障上の必要性の問題なわけだし。

それなのに「実力組織」などという言葉で逃げているから、

結局は「攻撃型空母は憲法上、保有できるか否か」という議論になる。

で、今はそれがなし崩し的に保有できる方向へと向かっている。

本質から目を背けて、国民の気づかない間にズルズルと軍備を増強。

いかなる理由があろうと、それは立憲主義を放棄している。

軍備の増強が国防のために不可欠ならば、実力組織なんて言葉で

国民を煙に巻いている場合じゃないよ。

 

そしてまた、こうした議論が起きたとき、最終的には内閣法制局の

憲法解釈に拠ることになるわけなんだろうけど、

その内閣法制局は「法の番人」たるかどうか。

ときの政権に阿り、政権の都合のいいように解釈を変える可能性だって、

今なら十分にあり得ると言わざるを得ない。

なんせこれまでの見解をあっさり覆し、

集団的自衛権の行使を認めたくらいなのだから。

 

要するに、戦力不保持の2項がある限り、玉虫色の解釈が可能だということ。

政権の都合が優先され、それが場合によっては国益より優先される事態をも

招きかねないということ。

棟居氏は、そういうことを言っているのじゃないかな。

 

それに、内閣法制局が政権に阿った憲法解釈をすれば、

反対する人々は今までのように(いや、もっとか?)違憲裁判を起こすだろう。

増田氏は、違憲か合憲かという神学論争は抜け出たと評価しているけれど、

こうなったら神学論争はちっとも終わらないことになる。

 

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院在学中。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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