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高森明勅
2018.4.29 22:00

親の心、子知らず

「親の心、子知らず」という。

昭和天皇ほど切実に平和を希求され続けた方は
他にいないだろう。

それは戦前・戦中・戦後を貫いた。

にも拘らず、昭和天皇のご生前、
あたかも悪質極まる戦争の張本人のように非難する人々が、
国民の中にいた(今もいるかも知れない)。

事実はそうではない。

戦争を回避すべく、立憲君主として最大限の努力をされ、
敗戦後は戦争の(法的・政治的には背負う必要のない)責任を、
ご生涯かけて自ら背負い続けられた。

昭和天皇に見当違いの非難が投げかけられた一例に、
昭和21年5月19日に皇居前広場で開かれた「食糧メーデー」
がある。

そこで掲げられたプラカードには、こんな文句が書かれていた。

「朕(ちん)はタラフク 食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」
(昭和天皇は、自分は贅沢な食べ物をタラフク食べながら、
国民を顧みないで餓死しても良いと思っている)と。

日本共産党のある支部(田中精機細胞)のプラカードだった。

しかし、当時の昭和天皇が実際に召し上がっていたのは
野草や芋、
スイトン、代用食の黒パンなど。

質素を極めたものだった。

ばかりか、国民の食糧事情を改善しようと、
皇室の僅かに残
された資産まで、差し出そうとされていた。

食糧危機が厳しかった終戦直後、
政府は占領当局に食糧の輸入を繰り返し申し入れた。

しかし、先方の対応は冷淡そのもの。

それを知った昭和天皇は、当時の松村謙三農林大臣に、
帝室博物館(後の国立博物館)
の館長に作らせた皇室が
所有されていた美術品などの目録を渡され

(昭和20年12月10日)。

「これ(皇室の資産)を代償としてアメリカに渡し、
食糧に代えて国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい」
(松村『
三代回顧録』)と。

松村農相はその目録を幣原喜重郎首相に渡し、
幣原首相がマッカーサーに渡した。

これに対し、マッカーサーは感動して以下のように答えている。

天皇のお考えはよくわかるが、自分としてもアメリカとしても、
皇室の御物(ぎょぶつ、所有品)を取り上げてその代償に食糧を
提供するなどは面目にかけてもでき
ない。
しかし国民を思われる天皇のお気持ちは十分に了解したので、
私が責任を持って必ず本国から食糧を輸入する方法を講じる」と。

マッカーサーは目録を返し、
緊急食糧の日本への放出を本国に求めて
取り組みを本格化させたと
いう
(『朝日新聞』昭和54年8月30日付朝刊)

「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」
とのプラカードの文句が、いかに昭和天皇の実像と
かけ離れていたか。

今ならはっきり分かる。

しかし現代の皇室についても、
人々はやはり“虚像”の虜(とりこ)になっている場合が
少なくないのではないか。

「親の心、子知らず」ー自戒したい。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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