ゴー宣DOJO

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切通理作
2018.9.5 09:50

いまならもう書いてもいいかと思うことを書きます

小林氏がオウム事件の総括を書いていて、いろいろ思い出した。

ずうっと、表に出してこなかったことを、抽象的にだが書こうと思う。

麻原および事件の中心人物の教団幹部が死刑となったいま、ある程度なら触れても許されるのではないかという判断からであるが、不愉快に思う方がおられたら申しわけない。今後これ以上詳しく書くつもりはない。

私はオウム真理教による地下鉄サリン事件の被害者に取材した本を準備し、半年ぐらい、ほぼ毎日その取材にとりくんでいたことがあった。

小林氏も参加した東京都町田市のオウム事件に対するシンポジウムにお邪魔した時、楽屋に訪ねてきた被害者の会の方の、自分たちの声を表に出したいというお話を聞いて「私にできることなら」と小林氏にも相談し、立候補したのだ。

だがその本は実現しなかった。地下鉄サリン事件の「被害」には大きく分けて二種類がある。あの3月10日に地下鉄車内もしくは構内に居て、自分が被害に遭った人。そして、自分の大切な家族をあの日あの事件で喪った人。

後者は、自分がサリンを浴びたわけではない。その後遺症がどんなものかを身をもって知っているわけではない。しかし大切な人はもう二度とは還ってこないという苦しみは、前者の人には伝わらないと思っている。

お互いの苦しみのポイントが違うのだ。もちろん、両者とも、あの事件が本当に遠くで起きたことで、ニュースの一つであるという距離感のある人に比べたら、お互いへの共感や想像力は比べるまでもなく大きい。だが一方で、その断絶が、日々埋めようがないくらい大きくなっていくのを目の当たりにした私は、もちろんどちらが間違っているという風にも思えず、接することが出来た方にはひたすら傾聴の姿勢を貫いた。

だが、人と人が集まったときの、イニシアティヴをどう取るかという力学の中で、私は結果的にははじき出された(という個人的な主観を持っている)。一方、私を信じて、本が出ることを応援くださった方もおられる。その方に関しては、裏切ってしまったという思いが拭えない。

これも初めて書くことだが、当時私が身を引いたのは、小林氏と己を比較した面も大きい。たとえば薬害エイズ運動も、小林氏がかかわることで事態の局面が変わり、問題の本質を社会に知らしめた功績ははかりしれない。小林氏はその成功をもたらした後で、運動の主体にある欺瞞や限界にもタブーなく斬り込んだ。

だが私は地下鉄サリン事件の被害者にまだ何ももたらしていない。なのに接した人たちどうしの軋轢や葛藤を表に出すのはためらいがあった。また事件そのものの被害に苦しんでいる人を前にして、自分がどう扱われただのなんだの被害者ぶるわけにはいかないという思いがあった。

いまでも、当時の頓挫を思い出しては、うなされることがある。あの時、どうふるまっていればそれを避けられたのか。考えられる限りそうしてきたつもりだったが、もっと誠実に、傾聴の態度を持つべきだったのか。当時はライターになってまだ五年以下の経験で、被取材者に対する、時にはテクニック的な心理術ノウハウが必要なことがまだわかっていなかったからではないか。あるいは、多少強引にでも取材者の「悪」を引き受け、どのような形であれ完遂するべきだったのか。

あの時の経験は、のちに取材主体の仕事をするときには、ずいぶん生かされたと思う。しかしそれは私のプロの物書きとしての個人的な成長の糧になったというだけで、あの本の企画が社会的に機能できぬままになってしまったことは変わらない。

しかし今日そのことを書いた目的は、この場を使って懺悔を記したかったということではなく、あることを思い出したからだ。それは被害者の会の弁護士の存在である。弁護士は、麻原および幹部の死刑回避、および破防法適用の回避を被害者に訴えていた。もちろん、民事含めた被害者の救済が第一の目的であったが、そうしたイデオロギーによるバイアスもまた同時に存在していたと個人的には思う。

そしてそのことと、前述の苦しみのポイントの違い、一個人としての苦しみを会として結集していきづらいわだかまりを持つ人がいることとは、かかわりがあると私は感じていた。

あらためて言うと、かつての頓挫は最終的にはすべて自分の責任であり、未熟さゆえだと思っている。誰のせいにもしたくないし、出来ない。イデオロギーを各々が持つのも自由である。

被害に遭われた方からうかがった言葉が、その後の自分の人生の折々によみがえってくることもある。本が完成しなかったのに、その一部でも表に出すのはするべきではないと思ってきた。

だが個人を特定せず、抽象的になら、あの時代を知るものとして、多少は書いてもいいと思うようになった。

当時、地下鉄構内で被害に遭われたある方は、こう言った。

オウム真理教という宗教が犯人らしいと知った時、あちゃ~、これは面倒なことになったと思った。個人の犯罪者なら、そいつが悪いということになるけど、宗教がからむと、これは歴史から見たら正しいかもしれないとか言う人も出てきて、もっと大きなことみたいになっちゃうでしょう。それは、ものすごくしんどい。オウムだって報道見た瞬間、そう思いましたね。「宗教か。なんて自分は運が悪いんだ」と。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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テーマ: ゴー宣DOJO in名古屋「人権カルトと日本人論」

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