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高森明勅
2018.12.26 18:08皇室

「大嘗宮」を何故わざわざ設営するのか?

大嘗祭は、天皇ご自身が1代に1度だけ、
国民が育てた稲を供えて、“最も”丁重な形で
皇祖神を祭る国民的・国家的な祭儀。
 
神には新嘗祭と同じように、
1晩のうちに“2度”、新穀を献じる。
 
尊い神を丁重に祭る為には、
“清浄(清らかさ)”を何より
重んじなければならない。
 
清浄を重んじる為には、
2度のお供えを行う時、
本当はそれぞれ別の“真新しい”御殿で
行うのが最も望ましい。
 
いまだ1度も使われていない
真新しい御殿こそ、最も清浄だからだ。
 
でも毎年恒例の新嘗祭では、
さすがに経費の面でも手間の面でも、
そこまで徹底する訳には行かない。
 
だからやむを得ず、夕(よい)の儀も
暁(あかつき)の儀も、
常設の神嘉殿(しんかでん)を使う。
 
これは厳しく言えば、
一種の略式という事になる。
 
しかし、神への供え物を盛る
御枚手(おんひらて)や御箸などは勿論、
真新しい物を使う。
 
そうやって、制約された条件の中でも、
可能な限り、清らかさを追求する。
 
皇位継承に伴う大嘗祭は、
たった1度限りの大祀。
 
だから、平素は略式で済ませているのを、
本来の形で行う。大嘗宮(悠紀〔ゆき〕殿
・主基〔すき〕殿)をわざわざ設営し、
その真新しい御殿で、悠紀の儀(新嘗祭では夕の儀にあたる)
・主基の儀(同じく暁の儀にあたる)を、
それぞれ最も清浄な(つまり1度使った御殿は
2度と使い回さないという)形で、奉仕するのだ。
 
毎年は無理でも、
せめて1代に1度の大祀では、
“あるべき姿”で極力、厳粛に行う。
 
そうやって、清浄を重んじる本来の精神を、
懸命に守り続けて来られた。
 
その1代に1度だけの大祀まで、
(小さな倹約の為に)略式で済ませてしまうのは、
余りにも畏れ多い。
 
そんな事が罷り通るようでは、
毎年の新嘗祭に求められるべき清浄ささえ、
やがて見失われかねない。
 
来年の大嘗祭でも、
ほぼ前例を踏襲する形で
大嘗宮が設営されるのは当然だ
(但し、主要三殿の屋根材が
「萱葺(かやぶき)」から
「板葺(いたぶき)」に変更になりそうなのは、
見逃せないが)。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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