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トッキー
2019.3.6 11:38メディア

学問は「博士」たちの飯の種じゃない

昨日配信の小林よしのりライジングVol.306
「権威主義批判を批判する権威主義者」
に対していただいたコメントをご紹介します!

 


 

倉橋氏は、岩波文庫の巻末を読んだことがあるでしょうか。さて私の手元に55刷の「論語」がございます。この巻末の岩波茂雄の「読書子に寄す」では以下のようにあります。

「かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことは常に進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。」

「それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう・・・」

岩波なんて野卑で民衆的な文庫には永遠に収録されないであろう倉橋氏は、小林先生の参考文献が大学図書館になかったことにつき、以下の通り述べています。

「この事実が示すのは、大学における「学問」や「知」というものとはまったく異なる回路や方法で「学問」や「知」を築いていこうという意志が、歴史修正主義を唱える人びとにはある、ということです。」

この人、学者を名乗るのは止めたほうがいいですよ。書物について語る資格を持ってないでしょう。市井の人間を舐めすぎています。大学なんてねぇ、誰でも入れるもんじゃなかったんです。今でもそうです。それでも人がモノをちゃんと考えられるように、市井の有志たちは文化を築いてきたんですよ。ゴー宣だってそういう文化のひとつなんです。エラそうな大学出が学問を独占して、特権階級ぶるなんてのは、昭和二年の時点で時代遅れなんですよ。民を愚昧ならしめてきたのは、三文サヨク人士のような、学問を狭き堂宇に幽閉せんとする「権威主義者」たちではありませんか。学問は「博士」たちの飯の種じゃありません。人がまっとうに生きるために必要なものです。
(shiroさん)

 


 

その岩波茂雄の「読書子に寄す」がこちら。
大学を出ていようといまいと、本さえ読めれば学問はできる、そのための良質の書を出そうという信念を、ひしひしと感じます。
それに引きかえ、博士号を取った自分こそが学問を収めた権威だと思い上がっている者たちの、なんと愚かで滑稽なことか…

トッキー

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