わが国の国号は古代(恐らく689年)に「倭」から「日本」に改められた。
これは、日本人が「倭」という表記を嫌った為、という見方が根強くある。
果たしてそうか。
そうした見方の根拠は差し当たり2つ挙げる事が出来る。
1つは、「倭」という漢字そのものが、元々良い意味を持たない事。
藤堂明保『学研漢和大字典』に「しなやかでたけが低く背の曲がった
小人をあらわす」とあり、白川静『字通』には「したがう、低い姿勢」
とある。
もう1つは、『旧唐書(くとうじょ)』『唐会要(とうかいよう)』
『新唐書(しんとうじょ)』などシナ文献に、「その名(倭)が優美でない
のを嫌って」国号を変えた、という趣旨の記述がある事。
しかし、漢字本来の意味がネガティブなものであっても、
それだけでは古代の日本人がそれを嫌ったと即断できない。
そこで『旧唐書』等の記述が重要になる。
国号の変更を伝えた遣唐使を受け入れた側の文献にこのようにあれば、
それは確かな事実のように見える。
しかし、それはあくまでも(漢字のニュアンスまで熟知した)
シナ側の“解釈”に過ぎない(そもそも、最初にこの件を取り上げた
『旧唐書』では、あくまでも“異説”扱い)。
しかも、これに矛盾する日本国内の事実がある。
例えば、「日本」国号を確認できる最も古い史料である
『大宝令(たいほうりょう)』を施行した、当の文武(もんむ)天皇の
当初の和風諡号(わふうしごう)が、「倭根子豊祖父天皇(やまとねこと
よおおじのすめらみこと)」だった。
天皇の諡(おくりな)に平気で「倭」の字を使ったのだ。
又、都のあった大和国(やまとのくに)を「日本」国号を
採用した後も暫く「大倭国」と表記していた。
以上のような事実から、少なくとも「日本」国号が成立した頃の
日本人は、特に「倭」という表記を忌避していたのではなかった、
と考えられる。
やはり『旧唐書』等の記述はそのまま信じてはいけなかったのだ。
では、何故「倭」から「日本」に国号を改めたのか。
それは、「日本」という表記それ自体に、積極的な意義を見出
(みい)だしていたからに他ならない。
詳しくは改めて。
【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/