ゴー宣ネット道場

BLOGブログ
高森明勅
2019.9.6 06:00皇室

日本書紀の「倭」という表記

日本書紀にも「倭」という表記が皆無ではない。
その中から興味深い例を1つだけ取り上げてみたい。

それは、天武(てんむ)天皇3年(674年)3月丙辰(ひのえたつのひ=7日)
条の記事。
ここにはっきり「倭国」という国号を確認できる。
もし書紀が依拠した史料に「日本国」と書かれてあれば、当然、そのままの
表記になったはずだ。

この箇所は、書紀の編者が元の史料に「倭国」と書いてあったのを、
本来なら全体の編集方針に従って「日本国」と書き改めるべきなのに、
たまたま改め忘れてしまった珍しいケースだ。
しかし、そのケアレスミスのお蔭で、当時、まだ「倭国」という国号が維持
されていた事実を知る事が出来る。
言い換えると、この時には「日本」国号は成立していなかった。
よって、「日本」国号の“上限年代”は、この時以降に押さえる事が出来る。
下限年代は、以前に指摘した『大宝令(たいほうりょう)』が施行された
大宝元年(701年)。
つまり、「日本」国号は674年より後、701年迄の間に成立した。
ここでは詳しい検討には敢えて立ち入らないが、持統天皇3年(689年)だった
可能性が最も高いだろう。

同年6月29日に諸司に班賜(はんし)された『飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)』
に、初めて「日本」国号が規定された可能性を想定できるからだ。
丁度(ちょうど)、皇室の祖先神で、“日(ひ=太陽)”の女神たる、
天照大神(あまてらすおおみかみ)への崇敬が高まっていた時期だ。
大神を祀(まつ)る伊勢の神宮の20年ごとの「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が
新しく開始されたのも、同じ頃だった(内宮〔ないくう〕の第1回遷宮が690年、
外宮〔げくう〕のそれが692年だった)。

公民が育てた稲を、天皇が大神に奉(たてまつ)る国家的・国民的祭儀である
大嘗祭(だいじょうさい)が制度上、確立したのも同時期の691年(天武天皇の時代
はまだ過渡期)。

当時の日本人の信仰・心意に照らして、「“日”本」という国号の背景には、
日の神=天照大神への崇敬観が明確に存在していたーと考えるのが自然だろう。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

次回の開催予定

第98回

第98回 令和3年 6/13 SUN
14:00

テーマ: 「科学的コロナの正体」(ゲスト:井上正康氏)

INFORMATIONお知らせ