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高森明勅
2019.9.20 06:00皇室

即位礼・大嘗祭が「京都」で行われた理由

明治の皇室典範では、即位礼と大嘗祭は「京都」で行われるべき事が、
明文で規定されていた(第11条)。
何故このような規定になったのか。
伊藤博文名義の『皇室典範義解』に以下のように説明していた。

「(明治)13年車駕(しゃが、天皇の行幸の際のお車)
京都に駐(と)まる。
旧都の荒廃を嘆惜(たんせき)したまひ、後の大礼(即位礼と大嘗祭)
を行ふ者は宜しくこの地に於(おい)てすべしとの旨あり。
…本条に京都に於て即位の礼および大嘗祭を行ふことを定むるは、
大礼を重んじ、遺訓をツツシみ、また本(もと)を忘れざるの意を明
(あきらか)にするなり」と。

明治天皇は京都でお生まれになり、京都でお育ちになり、
ご自身の即位礼も京都でお挙げになった(但し大嘗祭は東京)。
京都に対する強い愛着をお持ちだったのは当然だ。
その京都が、事実上の遷都の後、今やすっかり「荒廃」しているのを
目(ま)の当たりにされれば、その回復を願われるのは極めて自然な
ご心情であろう。

しかし一方、京都での挙行を“条文”化した理由として
「大礼を重んじ…」と述べているのは、抽象的で漠然としており、
普遍性のある説明にはなっていない。
即位礼・大嘗祭は、その皇位継承儀礼としての重大さに鑑みて、
国の中心地=首都で行われるべきなのは、理の当然だ。
しかも歴史上、実際にそのように行われて来た。
即位礼・大嘗祭は首都で行うのが「伝統」だった。


だから、東京が首都である時代には、東京で行うのが
「大礼を重んじ…本を忘れざる意を明にする」事になるはずだ。
明治天皇のご意図は、「旧都」である京都を「荒廃」させてはならない、
という点こそが主眼であったろう。
だから、この度の大嘗祭で主基(すき)地方に京都が選ばれた事も、
そのお気持ちに沿ったものと言えるだろう。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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