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高森明勅
2019.10.6 06:00皇室

富岡幸一郎氏が拙著を紹介

文芸評論家で関東学院大学教授、鎌倉文学館の館長も
務めておられる富岡幸一郎氏。

この度、拙著『天皇と国民をつなぐ大嘗祭』(展転社)を
産経新聞(10月5日付)でご紹介下さった。
紹介文のタイトルは「日本人として知りたい儀礼」。
恐縮かつ光栄だ。
その一部を引用させて戴く。

「戦後は新嘗祭すらも『勤労感謝の日』などという祝日となり、
何がなんだかわからなくなったが、日本人たるもの、一生に一回
体験できるかどうかの大嘗祭について知っておきたい。
『知ってるつもり』どころか何も『知らない』、この古代からの
皇位継承の大切な儀礼について『知りたい』。
本書は、そんな思いに応えてくれる。

まず目からウロコなのは、大嘗祭と新嘗祭は“区別”されなければ
ならないということだ。
…大嘗祭ではすでに報道されているように、占いで選ばれた地方の
田んぼを用いる。
つまり新嘗祭は宮中の祭りであるのに対して、大嘗祭は民の奉仕を
主体とする全国的な意味合いの祭儀であるという。
天皇と国民をつなぐ点にまさに祭りの主軸があり、それゆえに皇位継承
にかかわる大切な行事なのだ」

私が伝えたい要点をコンパクトに整理して下さった。
なお、拙著には次のような一文がある。

「新嘗祭も明治25年(1892)以降、国民の願いにより、
全国各地より米と粟(あわ)が献上され、それが供えられることになった。
これは国民国家の時代にうつって、新嘗祭がすこし『大嘗祭』化したとも
いえよう」と。

では、これによって大嘗祭と新嘗祭の「区別」は根本的に解消されたのか。
勿論、そうではない。
新嘗祭への各地の国民の新穀の献上は、言わば“有志”国民を代表する性格を持つ。
これに対して、大嘗祭での悠紀・主基両地方の場合は、亀卜(きぼく)による
点定を介する事で、“全”国民の奉仕を祭式的に「象徴」する。
両者の違いは歴然としている。

それ故にこそ、大嘗祭は新嘗祭が持ち得ない、「国民統合の象徴」に
相応しい皇位継承儀礼としての意義を、確かに担う事が出来るのだ。
念の為に。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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