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高森明勅
2019.10.11 06:00皇室

昭和天皇と全国植樹祭

天皇のお出ましを「行幸(ぎょうこう)」という。
皇后、上皇后、皇太子、同妃などは「行啓(ぎょうけい)」。
天皇とそれらの皇族がご一緒なら「行幸啓」という。
上皇の場合、歴史的には「御幸(ごこう)」という言い方がなされた。
一般の皇族は「お成(な)り」。

昭和の時代には毎年、2回、天皇・皇后が地方にお出ましになる、
いわゆる二大行幸啓が、慣例となっていた。
しかし、これらは勿論、国事行為ではなく、象徴としての公的行為。
だから、法的な“義務”ではない。
あくまで、ご自身の「お気持ち」によって行(おこな)って戴いている。
くれぐれも、そこを勘違いしてはならない。
その二大行幸啓の1つが「全国植樹祭」。
その発端には意外な事実があった。

昭和天皇は占領下に、戦争で疲弊した国民を慰め、
励ます為に、幾多の困難を乗り越えて、全国を巡幸(じゅんこう、
天皇が各地を巡られる事)して下さった。
昭和22年の秋には北陸3県を巡られた。
富山県には10月30日から11月2日にかけてご滞在。
その3日目に、昭和天皇ご自身のご希望により、県東部の山奥の婦負
(ねい)郡細入(ほそいり)村(当時)から次の目的地(笹津、ささづ)に
向かわれる途中の山林にて、立山杉(たてやますぎ)の苗木を3本、
お手植えになった。
これは前日の夜、急に決まった事だった。
昭和天皇は山林を所有する老農夫(前沢善作氏、当時70歳)に
「よく植林に努めてくれよ」と直接、お声をかけられた。
農夫は畏(おそ)れ多さから、俯(うつむ)いたまま
「はい、生命(いのち)をかけてもお守り致します」と答えて、
涙を流したという。

自分の山林に、天皇ご自身が苗木をお手植え下さった上に、
直接、お言葉を頂戴するなど、夢にも考えられない光栄だった。
当時は、戦争中の乱伐と戦災により、日本全国の森林の荒廃が激しかった。
この事がきっかけとなり、翌昭和23年に東京・青梅、同24年には神奈川県
・箱根で、森林愛護連盟による「植樹行事ならびに国土緑化大会」が、
昭和天皇・香淳皇后のご臨席を賜って開催された。

国土緑化推進委員会(現在は委員会から機構に変更)による
全国植樹祭が始まったのは、その次の年(同25年)からだ
(第1回は甲府市片山恩賜林)。
昭和44年の富山県(植樹祭の原点!)での第20回植樹祭からは
「おことば」を賜る例となった。
その後、平成27年から上皇陛下のご公務の負担軽減の一環として
「おことば」が取り止められた。

天皇・皇后両陛下が今年6月2日に初めてお出ましになった
第70回大会(尾張旭市愛知県森林公園)では再び「おことば」を
賜っている。
勿論、陛下の国民へのお気持ちによるものだ。
全国植樹祭の場合、恒例の行事に陛下のお出ましを仰ぐというより、
むしろ昭和天皇ご自身の「日本の森を甦(よみがえ)らせたい」
という強いご意志が、行事そのものの発端となった。
余り知られていない事実ではあるまいか。

なお、昭和の「二大行幸啓」は平成で「三大行幸啓」となり、
令和では「四大行幸啓」となっている。
この点については改めて。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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