ゴー宣DOJO

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笹幸恵
2019.11.11 19:05ゴー宣道場

九州ゴー宣道場、お疲れ様でした。

昨日の道場に参加された皆様、お疲れ様でした。
私は小林先生が最初に提起された、
「女は男を甘やかしすぎるのではないか?」
という点、さらに第二部で話題にのぼった
「なぜ女は公について考えようとしないのか?」
この二点について、もう少し深く掘り下げて
考えてみないといかんなあと思っています。

甘やかす、というのも、様々な捉え方ができる。
女が何でも許してしまうと男は増長する
(逆もまたしかりだけれど)。
あれこれ世話を焼く、というのも、程度や人による。
もし母親が息子に対して、進むべき道の石ころを
躓かないように取り去ってあげていたら、
負荷を知らない、ストレス耐性のない男に育つだろう。
(これまた女もしかりだけど)。
母性を発揮することが女の美徳とされていることも
問題かもしれない。
でも厄介なことに、女は程度の差こそあれ、
世話を焼くこと(=母性)が愛情表現だと思ったりするのだ。
そしてそれによって子供も、男も、育つ。
だから、世話を焼くことそのものより、
それを強制されること(女なんだから母性を発揮して
当たり前と周囲が考えること)が問題なのだろう。
男にはそうした抑圧された女への想像力が求められる。

一方で、女が公について考えようとしない要因は、
いくつも考えられる。
道場で議論になったように、目の前の家事育児、
金銭的な問題、それらが公への参加を阻んでいる
可能性は十分にある。
また「男性(たとえば夫)を差し置いて」などと
自らの意志を抑制してしまっている可能性もある。
それに女自身が、公を「私には関係のないこと」と
捉えていることも問題だろう。
実際、女同士で国家や憲法について語るなどということは
きわめて少ない。

だけど、私と同じように戦史に関心を持つ女は、
たとえば「祖父が戦争の話をしていたから」とか
「祖父が戦死したときのことを知りたい」といった具合に、
身内から端を発して公への問題意識につながっていた
ケースが多い(逆に男はプラモデル好きが多く、
その延長線上での戦史オタクだったりする)。
もちろん一概には言えないけれど、それでも
女は「私」を辿っていくうちに「公」につながることが
多いのではないだろうか。
男性とは異なる回路かもしれない。
でも、だからこそ、それは「女の視点」として
尊重されるべきだ。
「女の意見なんぞ」と無意識に見下している人は
きっとまだまだ多い。
男にはそうした、自分とは違う回路で到達した意見を
受け止める度量が求められる。
女は、自分が声をあげたところで何も変わらない、
というニヒリズムから脱却する勇気が必要だ。

そういえば書いていて思い出したけど、
私がゴー宣道場に参加するようになって
一番驚いたのは、この点だった。
「女の意見」が、女であることを理由に
遮られることがない。無視されることがない。
初期の頃、これにはホントびっくりしたな~。
打合せのときなど、ほとんどカルチャーショックでしたよ。
逆に言えば、自分がどれほど抑圧された世間にいたのか
思い知る時間だった。
私がニヒリズムに陥らずに済んだ大きな要因だ。
恵まれていると思う。


さてさて、九州ゴー宣道場では設営隊の皆様、
遠方から応援に駆け付けた門下生の皆様、
議論が円滑に進むよう準備に心を砕いてくださって
本当にありがとうございました。
控室でパンダ袋のお菓子と、パンダが置いて
あったのには感激でした

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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