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笹幸恵
2019.11.16 01:32日々の出来事

古代と近現代、そして保育所。

十条駐屯地に行った。
あちこち出かけるときは、必ず軍事施設や
戦跡がないかを調べる。
とくに十条は、陸軍の造兵廠があったしなあ。
ぐへへ・・・。
ネットで検索してみると、同じ趣味趣向を持った人は
いるもので、十条戦跡のあれこれが出てきた。

明治38年、東京砲兵工廠(小石川)の銃包製造所が
十条にできたのがはじまり。
相場より良い値段で国が土地を買ったそうです。

町には当時のレンガ造りの一部があちこち
再利用されていて、見どころが多かった。

あと、中央公園の文化センターは、
造兵廠本部の建物が使われています。


この脇には、銃包製造所時代のボイラーの一部が
展示されていました。


そしてなんとお隣には、古墳・・・。

古墳時代の横穴式石室が残されています。
考古学を少しずつ学ぶようになってから
古代にもテンション上がってしまうので、
この近現代と古代のコラボレーションに狂喜乱舞。
いや~、北区ってすごいぞ!!!

十条付近は古墳がかなり見つかっているのですが、
ガンガン工事して軍事施設が建設されました。
どういうわけか事故死した人が多いとか。
こ、古墳の埋葬者のたたり・・・?
亡くなった方々のための慰霊碑もありました。


さて、駐屯地内の広報室にもお邪魔したのですが、
軍事関係の資料とは別に興味深いパネルがありました。

これ、『写真週報』という雑誌なのだけど
造兵廠内に保育所があったという記事です
(昭和17年11月18日、第247号)。
当時は人手が足りなくて、近所の女性たちが
貴重な働き手。
サブタイトルは「働く母を護りませう」。

必要に迫られていたとはいえ、昭和17年の時点で、
職場に保育所とは、何と先進的な。
今、大企業でも職場に保育所ってあんまり聞かない。
というか、そもそも乳飲み子を抱えて
満員電車で通勤するのはかなり大変だろう。
だから設置していないのかもしれないけど、
そうなると結局、育児は個人(母親)の努力に
ひたすら依ってしまうことになる。
保育園に落ちたら、仕事を辞めなければならない
という二者択一を迫られる現代に比べて、
戦時中の何と融通がきくことか。
(もっとも、これぞ国家総動員、という見方も
できなくはないのだけれど)。

十条、なかなかに味わい深い町でした。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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