ゴー宣ネット道場

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トッキー
2020.5.4 11:36政治・経済

しろくまさん紹介の、手塚治虫の死生観。

よしりん先生も感嘆の、
中四国設営隊長・しろくまさんの
メーリス投稿をご紹介します!

 


 

小林先生
木蘭師範
昨夜の「オドレれら正気か?」拝見しました。

新型コロナウイルスの今の現状のデータをとても詳しく解説をされていて分かりやすくて面白かったです。
ありがとうございます。

自粛が続けば間違いなく企業の倒産が続き、自殺者、経済悪化とそして治安の悪化へと社会崩壊にまで進み、取り返しのつかない事態になってしまいます。
何とか今すぐにでも通常通りに経済を回さなければいけないと思います。

それに対しても今の人には反骨精神が無いと仰ってましたが本当にそう思います。

それと、周りでもテレビの影響でPCR検査をもっと増やせという声もよく聞きます。

メディアでもどこでも「あなたとあなたの大切な人を守るために」のスローガンを連日聞かされて、洗脳のようで気色悪いです。

逆を言えば、コロナに罹ったり、周りに感染させたとなれば罪人、犯罪者のように暗に刷り込まれているようです。

本当に自分の大切な人がコロナに罹ったら相手を責めるのですか?もしそうなったら、その時で、覚悟をしてその現実を受け止めるだけであって乗り越えていけばいいことで、そうなった時はそれはお互い様ではないでしょうか。

その人が大切な人であっても、知らない人であっても、相手を責めるほどのことでしょうか?全く理解できません。責める人はきっと自分のことが大事、相手を大切な人と思ってないです。

コロナが流行ってから、ある時、コロナを恐れすぎだと話をしてると私に対して「あなたの大事な人が肺炎で苦しんで亡くなったのを知ってるのなら、コロナも同じで罹ったら同じように苦しんで死ぬのをどうしてコロナの怖さが分からないの?」と激しく責められたことがありました。

人の最期をここで出されるとは思いもしなかったので、悲しいよりも呆れてものも言えませんでした。

死生観についても考えさせられます。
病を乗り切った経験や、人の死を見たこと、そこで人は成長するきっかけにもなるのに、病気や死がまるで何もかも終わるとか、無ではないと思います。コロナに対して過剰に恐れすぎです。

人が死ぬ時は全く予期せぬ時に来るものだと思います。
まるで最後の日、自分で生命をコントロール出来るものだと勘違いか錯覚してるのか、その為に経済までも止めて、自分の生と死に向き合っていないと思います。

今、コロナに対しては情報を冷静に見ることが大事だと思いました。
少しずつですが周りに話していきます。
ありがとうございました。

長文失礼いたしました。

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死生観について、以前読んだ本の中にあったので最後に書きます。
長文ですが、お時間があるときにご覧ください。

著者 横尾忠則 著書『今、生きる秘訣』
※横尾氏と対談された岡本太郎や手塚治虫の言葉が今でも響き、小林先生の作品にも通じることがあり時々読んでます。

手塚治虫
「煩悩が増えすぎちゃってね。よくテレビなんかで、ライオンがシカを襲って、逃げ遅れたシカを食べますね。あれなんか、じゃあ死ぬ時のシカの心理はどうなんだろうなんて考えるんですが、結局何も思ってないんじゃないかって気がするんですね。ああ、やられた、これでおれは死ぬんだという・・・。死ぬという意識もないんじゃないかと思いますね。
だから、それを究極的には仏教は説いてるんじゃないかという気もするんですよね。そういうものを超越した生死観というかね。ぼくは、生きてるということと死ぬということを区別して考えるようになったのは、キリスト教から後のような気がするんです。

たとえば、中国とかインドあたりの説話をみると、生死を超越しちゃってる話が多いんですよね。これはちょっと後の話になるけど『西遊記』も、どこら辺で玄奘三蔵が死んで、悟空が死んで、また生き返ったかというのはわからないわけです。天竺へ行って川にぶつかった。船頭がいるので、玄奘三蔵が乗せてってくれというと乗せますよね。
それでずうっと川を渡っていくと向こうから何か流れてきます。「あれは何だ」と玄奘が言う。「いや、あれはあなたですよ。」と悟空が言うんです。それでよく見ると自分が流れてくるんです。
自分は船に乗って渡っていくわけですよ。流れてきたのは自分の死体なんです。そこら辺で、ああ、おれは死んだのかと初めてわかる。そういう気持ちっていうのは、ぼくはすごくわかるような気がするんですね。

 でも、キリスト教は洗礼から始まって、洗礼で初めてこの世に生きたことになるわけですね。それで、最後に死んで天国に昇るという、つまり別世界へ行くんだという思想、そういったような中で生きてる間の倫理観みたいなものが厳然とできた時点で、死ぬということがだんだん人間にとってつらくなってきた。
 たとえば、原始時代なんか、洞窟の中でほとんど着るものを着ずに一生を過ごした原始人は、本当に動物のように死んでいったと思うんです。来世を願いもせず、今世に執着も持たず、「ああ、おれは死ぬんだ」とさえも思わずに、コトッといったと思うんです。そういう時代に戻れば、まあ、戻りっこないと思うんだけど、そういう時代に戻れば、ぼくは人類は救われると思う。」

 


 

手塚漫画って、本当にあっさり人が死ぬ作品が数多くあります。
『ブラック・ジャック』は言うに及ばず、初期作品の頃から『鉄腕アトム』なんかでも、本当にいい人キャラの登場人物でさえ、簡単に死んじゃったりします。
おそらくそれは、大阪大空襲で道端に焼け焦げた死体がゴロゴロ転がっている地獄絵図の中を生き抜いた体験なども影響しているのだろうし、だからこそ、人はいつ死ぬかわからない、ただ長生きしようとしたって意味はない、生きているうちにどれだけのことができるかだという信念で、60年の人生を駆け抜けたのじゃないかとも思います。

こんなことは、ただ長生きだけがしたい生命至上主義で、「コロナ怖い」教に嵌った人には決して理解できないし、AIで再現できるものでもないと思います。

トッキー

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テーマ: 「コロナ後のリベラル」

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