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高森明勅
2020.8.23 06:00皇室

日本書紀の中の「歴史回想」

私らが、歴史を回想しようとする場合、その“原点”となるのが日本書紀。
その日本書紀自体の中に、歴史を回想する場面がいくつも出て来る。
例えば、推古天皇15年(西暦607年)2月条に次のような記事がある。

「9日、推古天皇が詔(みことのり)を下して、
『聞けば、昔、我が祖先の歴代天皇たちは、世の中を治めるに当たり、
天地に身の置き所が無いほど謹(つつし)んで、厚く天(あま)つ神
・国つ神を敬われ、山や川の神々もあまねく祭って、深く神々の力を
天地にお通(かよ)わしめになった。

このため、陰陽はよく開き調和し、神々の仕業(しわざ)も順調に
行われたと聴いている。

今、自分の世において、どうして神々の祭りを怠ってよかろうか、
よいはずがない。
それゆえ、群臣は、共に心を込めて神々を礼拝せよ』と仰せられた。
15日、皇太子(聖徳太子)と大臣(蘇我馬子)は、朝廷の役人たちを
従えて神々を祭り、礼拝した」

例によって、学者の間には、同記事の史実性を疑う見方もある。
しかし、これは小野妹子(おののいもこ)に、「日出(い)づる処(ところ)
の天子」というこれまでに前例の無い(相手国の皇帝に対して明確に
“対等性”を主張する)国書(こくしょ)を託して、近隣の強大国・隋に
派遣する(同年7月)のに先立って行われた、重要行事だ。

特に、それが事実であることを否定する、確かな根拠は無い。
平安時代の法令集『延喜式(えんぎしき)』に、外国に使節を派遣する時に
「天神(てんじん=天つ神)・地祇(ちぎ=国つ神)」を祭る規定がある
(巻第3)。

その源流は、この時の行事だった可能性がある。
妹子らは、5世紀以前にわが国が中華帝国の(形式上・名分上の)属国と
位置付けられていた、シナ中心の国際秩序である冊封(さくほう)体制からの
「離脱」を隋側に伝える、重大かつ困難な使命を担った(5世紀末~6世紀一杯は
外交関係が無かった)。

「天皇」という君主号が登場し、国号が「日本」に転換するのは、
その延長線上のことだった。

この場面で、わが国は有史以来、最大の“岐路”に立っていたとも言える。
「歴史」への回想は、正(まさ)にこのような、「未来」を切り開く為に“大胆な”
決断が求められる局面でこそ、真剣・切実になされる。
その真剣な回想から、神々への祭祀の大切さが改めて銘記された事実は、重要だ。

推古天皇の治世(ちせい)は、特筆すべき仏教興隆の時代だっただけに、
一層、興味深い。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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