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倉持麟太郎
2020.9.29 09:58

リベラルの歴史を振り返りながらリベラルってなんだを考えた夜

昨日は拙著『リベラルの敵はリベラルにあり』出版記念の宴でしたが、まさかのよしりん先生にきていただいて、のけぞりながら感動してしまいました。あんなにタイトなスケジュールな中、きていただきて本当にありがとうございました、感無量です。

また、たくさんの参加者の方にもきていただいて、心から感謝です。

 

昨日は、皆さん本は読んでるのかなと思って、本に書ききれなかった内容をプレゼンしました。

「リベラルの定義」みたいな話はあるけれど、実は定義するのって難しくて、しかも日本版リベラルになるともはや不可能。

歴史的には、リベラルとは、ローマ帝国の時代から自由とか個人的な権利・利益だけの概念ではなく、むしろ道徳心があり他者や社会のことを思いやれて、共通善についてまで考えられることを「リベラルなこと」として使用されていた。むしろこれって、今でいう共同体主義とか、保守の考えに近いかもしれない。その後フランス革命を経て誕生した「リベラリズム」の概念が、反フランス革命的なドイツで「自由放任」と「政府介入」の2潮流にわかれ、イギリスでニューリベラリズムとなって、ニューがとれてアメリカに入った。この、自由の確保と政府介入という矛盾したリベラリズムは、ジョン・デューイによって理論的に確立され、フランクリン・ルーズヴェルトの実践を経て、民主党とも強固に結びつき、そのまま日本に入ってきた。

二つの世界大戦でのアメリカの勝利によって、リベラリズムの歴史もアメリカの歴史となって、2回の敗戦とナチスの経験で「ドイツのリベラリズムの失敗」の烙印を押された大陸リベラリズムはリベラリズムの歴史から放逐された・・・

こんな流れを説明しました。

おおまかにリベラルといえるには、以下の内容のいずれかを備えていればそういえるのかなと考えていますが、日本のリベラルはそれすら備えてないんではないか問題をコロナと香港問題にからめてお話しました。

【内容】

①自由の価値を強調

②寛容も必要

③公徳心(市民として政治参加や善き政治のために自分のことだけでなく社会全体のことを考える心)も必要

【手段Ⅰ】

①放任(市民社会のみで自給自足)

②国家が介入(消極~積極まで)

③全体主義

【手段Ⅱ】

①一気に変えるー法や制度による明示的システムで

②徐々に変えるー不文律や慣習で

 

日本にアメリカンリベラリズムが流入したことについて特に興味深いのは、このリベラリズムが、ルーズヴェルト時代のカロリーヌ・プロダクツ判決における経済立法に関する違憲審査において政治部門の判断を尊重するとするいわゆる違憲審査基準における「二重の基準」にまで反映されて、それを日本の憲法学(っていうか芦部憲法学)や最高裁が(完全にではないが)採用していること。

 

ということで、「日本型リベラルとかけて、日本の食文化とときます」

「どこまでも米=アメリカへの依存がカギになります」

お後がよろしいようで。

 

是非、まだの方は読んでください!

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倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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