「三島事件」裁判の判決文。
三島由紀夫の「天皇論」についても、立ち入って論及していた。
「三島は、かねてより天皇をもって日本の歴史、文化、伝統の中心であり、
民族の連続性、統一性の象徴であるとし、かくの如(ごと)き
天皇を元首とする体制こそが政治あるいは政体の変化を超越する
日本の国体と呼ばれるべきもので、この国体こそが真の日本国家存立の
基礎であって、これは、現在は勿論(もちろん)将来に亘(わた)っても
絶対に守護されるべきものであること、また軍隊は、現状に照らせば
国を守るためには必須不可欠の存在であり、その建軍の本義は、
真に日本を日本たらしめている右(みぎ=上記の)国体を護持する
ところにあるという観念を抱き、従って憲法上も天皇の地位を元首と
するとともに、軍についても明確に規定すべきであると主張していた。
…三島は、元来(がんらい)日本の古典文化、伝統文化に
深く傾倒していたものであるが、昭和35年(1960年)のいわゆる
安保闘争を目の前にして、これを共産主義をはじめ左翼勢力が
青年達を支配している状況として把握し、これを憂え、
このまま放置する時は日本が危殆(きたい)に瀕(ひん)すると考えた…
この時期を転機に三島は、日本古来の精神文化の一層の吸収に努め、
日本固有の伝統や文化を強調した独自の天皇論、国体論を基礎づけて
いったのである。
ただ、ここにおける天皇は、文化概念としての天皇であるとし、
その非政治的な性格を強調するという独特なもので、軍隊との関係も、
天皇はこれに軍旗を授与し、栄誉を与える権能を有するに止(とど)まり、
統帥(とうすい)権を有することはないとし、憲法改正においても右に止まり、
言論の自由、議会制民主主義の擁護を説く極(ご)く
穏健(おんけん=おだやかで、行き過ぎや誤りの無いこと)なものであった」と。
勿論、三島由紀夫の天皇論は、ここで触れらている所で尽きるものではないものの、
その「文化概念としての天皇」という立論を、「極く穏健」と評
価していることに注目すべきだろう。
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