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高森明勅
2022.10.7 08:00皇統問題

皇位継承問題、初めは少数でも信念を持つ者達から道は開ける

昭和天皇のお誕生日だった4月29日は現在、
「昭和の日」という祝日になっている。
その趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた
昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」。

しかし、「昭和」から「平成」に元号が改まった当初、
政府が決めた祝日名は「みどりの日」で、全く別の趣旨の祝日だった
(現在、「みどりの日」は5月4日に移動)。
それが「昭和の日」になったのは、平成17年に国会で
祝日法が改正されたからだ(実際の施行は同19年から)。

この祝日法改正が実現したのは、
一般には余り知られていないかも知れないが、それを求める粘り強い
国民運動があったからだ。

わが国の歴史上、かつて経験したことがない、
総力戦の敗北というどん底からの復興、という偉大な昭和の歩みを
後世に残し、未来の日本人に大きな勇気と希望を与える祝日としたい
という願いから、私も微力ながらこの運動に少しばかり関わった
(この祝日のキーワードは“復興”)。

この運動がスタートしたのは平成5年4月23日。
この日、明確な目的意識を持った有志が集まり、「発会式」を催した。
当時、まだ30代半ばだった私は、この会で基調講演を行い、
「何故『昭和の日』でなければならないか」について“論理”を提示した。
しかし、その時に集まったのはわずか27名
(記念写真には26名が写っているが、撮影者も仲間だったはずだ)。

これほどの少数からスタートしながら、
遂に衆参両院の過半数の国会議員を動かし、祝日法の改正にまでこぎ着けた。
これは、巨大な組織の後ろ楯も潤沢な資金もない、
本当にささやかな有志の手作りの運動だった。

だが、昭和天皇のお誕生日だった4月29日は、「みどりの日」という
ピントが外れた祝日より「昭和の日」の方がふさわしい-という、
その頃、国民の圧倒的多数を占めた昭和世代が受け入れやすい
メッセージを掲げたことが、この運動の最大の“強み”だった。
その強みがあったからこそ、共感の輪は着実に広がり、
確かな成果に繋がった。

皇位の安定継承への取り組みについても、
それと共通する“強み”があるのではないだろうか。
天皇陛下に素晴らしいお子様が現にいらっしゃるのに、
「女性だから」という“だけ”の理由で皇位継承資格を持てないのは
明らかにおかしい-というメッセージは
(男尊女卑に凝り固まったごく一握りの人々を除き)普遍性がある。

先の参院選では、いささかハードルが高い“候補者への
個別アプローチ”の為に実際に動いた有志が、全国で106人(!)もいた。
これは、きちんと結果を出した「昭和の日」運動が、
スタート時点では“実践に踏み出そう”とする者が
わずか27人しかいなかった事実を振り返ると、決して少なくない数だ。

但し、「昭和の日」運動は10年余りの歳月をかけて
根気強く目的を達成したが、皇位継承問題にそれほど長い猶予期間はない。

追記

近況の一端を。

〇9月30日、ミス日本コンテストのファイナリストたちにレクチャー。
〇10月1日、月刊誌「カレント」10月号に連載「皇室の春夏秋冬」第9回が掲載された。
〇10月3日、「smartFLASH」にコメントが公開された。
〇10月4日、「週刊女性」10月18日号にコメントが掲載された。
〇10月5日、上記記事が「週刊女性PRIME」でも配信された。
〇10月7日、「清話会」で講演。
〇なお先日(9月28日)、読売新聞の取材に応じたコメントが10月11日付に掲載されるそうだ。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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