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笹幸恵
2023.2.22 00:55皇統問題

長島議員に再度聞きたいこと(前半)。

長島昭久議員が私の質問にツイッターで答えてくれた。
何回にもわたって投稿されているが、
それをサポーターの方がまとめてくれているので
ここに紹介する。
長島議員の答えに対する、私の再びの質問も追加。

1 血統はなぜ男性に限られるのか、なぜ女性ではダメなのか

そもそも「男性に限られ女性はダメ」というのは、事実誤認です。皇統において限られるのは男系であり、男性ではありません。したがって、男系女子は皇統に含まれ、女系男子は皇統に含まれません。

いずれにせよ、我が国の皇統が初代以来約2000年にわたり「男系」のみによって継承されてきた歴史的事実を重く受け止めます。この点は、政府見解も歴代首相の国会答弁も「男系」ないし「男系重視」で一貫しております。

たとえば、現行憲法制定時の内閣法制局「想定問答」は「皇統は男系により統一することが適当であり、少なくとも、女系ということは皇位の世襲の観念の中には含まれていない」とされ、平成24年の野田佳彦首相答弁でも「古来、ずっと長くそういう形(男系継承)で続いてきたことの歴史的な重みというものをしっかり受け止める」と述べています。

 

(再びの質問)

内閣法制局「想定問答」がそのような答えを用意したのは、「女系の子孫の場合、配偶者の子孫で臣下であることが強く感ぜられ」るからであって、「男系のみによって継承されてきたという歴史的事実」を重く受け止めたからではありませんよ。今、女系皇族がいたとして、その子孫をそのまま「配偶者側の子孫」と見なす国民はほとんどいないのでは。一部の家父長制大好き頑迷固陋おじさんくらいでは?

なお、同じ年、金森徳次郎大臣は、憲法第二条は男系男子と限定していない、第二条の趣旨は根本的には明治憲法と変わらないものの、「併し時代々々の研究に應じて或は部分的に異なり得る場面があつても宜いと申しますか、さう云ふ餘地があり得る」と答弁しています(第90回帝国議会)。つまり日本国憲法の「世襲」は、明治憲法と基本考え方は変わらないけれど、時代に応じて異なってもいい(即ち男系男子でないこともあり得る)と述べているのです。想定問答よりはるかに重い国務大臣の答弁です。これをどのように受け止めますか。

 

2 男尊女卑を背景とした明治典範の踏襲は、令和の今、妥当か。

明治時代に井上毅を中心に皇統の歴史に関する関連古文書を渉猟し精査した結果、皇統が初代以来「男系」により例外なく継承されてきた事実を確認した上で、当時の社会規範に照らし女帝を不可として『皇室典範』(明治典範)が定められたものと理解しております。したがって、皇位継承の根本原理である「男系継承」が維持される限り、古来の先例に倣い女帝の即位を否定するものではありません。ただし、女性による皇位継承を認めた場合に、その配偶者をどうするか、その子への皇位継承をどう考えるか、をめぐり初代天皇以来の男系継承の伝統が崩れてしまいかねない皇室の正統性に関わる重大問題が惹起されることを懸念します。また、今日の憲法学における最高権威の学説でも、以下のように現行憲法下での皇位の「女系」継承は否定されています。たとえば、美濃部達吉東京帝国大学教授「皇統は専ら男系に拠る」(『日本国憲法原論』)、宮沢俊義東京大学教授「我が国では皇族の身分をもたない者は皇位継承の資格はないが、皇族の身分をもつためには、かならず『男系』により皇統に属することが必要」(『憲法(改訂版)』)、佐藤幸治京都大学教授「皇統は男系性を要求される」(『憲法(第3版)』)などをご参照ください。

 

(再びの質問)

「例外なく男系で継承」「初代天皇以来の男系継承」というのなら、欠史八代をどう捉えているのでしょう。また男系継承を伝統とおっしゃいますが、代議士にとって伝統とは何でしょう。先例のことですか。基本原理のことですか。

 

3 シナ父系制の影響を受けた男系継承は日本の「あるべき姿」か。

「古代が双系的な社会である」とか「シナの影響」云々についてはそのような説を唱えている学者が存在することは承知していますが、皇位継承に関する私の考え方とは全く無関係です。むしろ、古代における皇位継承をめぐっては、母方も男系で継承されている例はあるものの、男系が断絶して母方のみで継承している例はないものと承知します。飛鳥から奈良時代に女帝が誕生したのは、権力闘争の結果ではないでしょうか。すなわち、飛鳥時代は蘇我系と非蘇我系の争い、奈良時代は天武系の中で草壁皇子(持統天皇の唯一の皇子)の系統に次がせるべく起きた争いです。それでも、男系継承は貫かれました。したがって、我が国有史以来の皇統の歴史的事実に鑑み、「男系継承」を堅持することが、今日においても皇位継承の「あるべき姿」であると考えます。

 

(再びの質問)

「私の考え方とは全く無関係」の意味がわかりません。検討に値するものではなかったということでしょうか。そもそも検討もしていないということでしょうか。権威の有無にかかわらず、この問題に真摯に向き合う学者の論は一読すべきとお考えになりませんか。ちなみに権力闘争は、飛鳥時代や奈良時代に限りません。権力闘争が女帝誕生の理由なら、これより後の時代はなぜ出てこなかったのでしょう?

 

 

長くて目がチカチカするので、とりあえずここまで。

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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