発端は、自分がX上でみたに英弘衆議院議員を批判したポストについた、1件のリプライでした。
承服できない点ばかりなので、私はこのようにリプライ。
すると、ちょっと奥歯に物がはさまったような言と共に、「天壌無窮の神勅」は男系固定と解釈(「女神」から「吾が子孫」と発せられた勅なのに?)という説を出して来たので、
それと明らかに矛盾する元明天皇→元正天皇の女系継承と、「世襲」に男女の別は無いという政府見解をまとめた高森先生のブログへのリンクを提示。
すると、まるで「練習問題」かのように、「草壁皇子」や、「女帝は中継ぎ」の言説が出てきたので、
ちょっと面倒になり、まとめて詰めました。
すると、相手から返ってきたのは…
アリャー!自身の主張を「信仰」だと告白してしまった!
「現実策」の協議の場だったら、これでお終いです。
個人がどんな信仰を持つかは自由ですが、「皇統の安定」という極めて公なテーマの議論上では、全く説得力を生まない要素なので(日本の庶民感覚全般に通底する信仰感などであれば、考慮に値しますが)。
これは、私と、どこの誰かわからない人とのX上でのやりとりですが、皇統問題に関する議論で理詰めしていったら、このように「男系男子固執は〝信仰〟」であるという事が、必ず顕になります。
男系固執論者はそれが怖いから(自論が〝信仰〟であるのを、本当は認識しているから)「静謐」で発言が制限された会議を望んだり、私的な信仰を「伝統」に偽装して主張したりします。
「理詰め」って日本社会では好まれないし、「私」的領域の自分もあまり好きでは無いのですが、ひとたび理詰めを行うと、男系男子固執の理屈はすぐに粉々になってしまうんですよ。
男系男子固執の信仰を堅持したい者の行動は、とにかく「議論の回避」です。「全体会議」もそうだし、足立康史の党内内輪向けスタンスも同じ。
議論の回避は、天皇を戴く近代国家である日本の基本精神を示した「五箇条の御誓文」の精神に背く態度ですからね。それはダイレクトな「逆賊の証」です。
政治家から匿名のXユーザーまで、男系男子固執を主張する者は、「伝統」っぽいキーワードを黄門様の印籠のごとく羅列するんじゃなく、「理詰め」で皇統の安定への現実策を示してみやがれ!