5月15日の読売新聞の提言が大きな反響を呼んでいる。
その巨大な波紋の隅っこで、産経新聞が歯ぎしりしている様子が
紙面から伝わる。翌16日の一面コラム「産経抄」では、
故·安倍晋三元首相が生前「女性宮家になりたい方は誰もいない」
などと述べていたと記す。
これは匿名欄だが、恐らく阿比留瑠比記者が書いたものだろう。しかし、彼より安倍氏に食い込んでいたと見られる
元NHKの岩田明子氏によれば、安倍氏は
「女性皇族は婚姻後も皇族の身分を持ち続ける」
という選択肢を想定していたという(『文藝春秋』令和4年12月号)。現に三笠宮家の彬子女王殿下と瑤子女王殿下は
「自由な生活をしたいと望まれている」一方で、
女性宮家の制度化が実現すればそれに従われる
ご覚悟を披瀝しておられる(『文藝春秋』平成21年12月号)。一方、安倍氏自身が旧宮家系子孫で養子縁組に応じる
男子は「いない」と明言していたことが、知られている。
だがそんな事実は、産経の記者には伝えたくなかったに違いない。産経は更に19日、一面に
「皇統と読売提言/分断招く『女系継承』は禁じ手だ」という
榊原智·論説委員長の論説を掲げた。
しかし、残念ながら既に聴き飽きた内容ばかり。
なので、改めて詳しく批判するには及ばないだろう。例えば「元皇族やその子が皇族になった先例はある。
平安時代の第59代宇多天皇とその子の第60代醍醐天皇などが
そうで十分参考になる」とある。
だが、今さら改めて言うまでもなく、検討対象になっている
旧宮家系子孫は「元皇族」でもなければ「その子」でもない。
親の代から皇籍になかった一般国民が、
単独で新しく皇籍を取得して、その子孫に皇位継承資格まで
認めるなんて「先例」は勿論、皆無。
だから全く「参考」にならない。こんな調子なので、失礼ながら細かく言及するレベルに達していない。
だからここでは、私が読売提言を評価した「真剣な危機感」も、
「皇室に寄り添う姿勢」も、「健全な常識的感覚」も、前提となる
「歴史事実の確認」も“全て”抜け落ちている、とだけ述べておこう。何より、最も初歩的な論点である「皇統」と
「男系」の区別ができていないのが、致命的だ。
文中「女系継承の容認は日本の皇統断絶を意味する。
いくら天皇号を称していても正統性のない別王朝になり、
憲法が期待する象徴性は失われ、日本には分断が生まれる」とある。令和で唯一の皇女であられる敬宮殿下が即位され、
そのお子さま(天皇皇后両陛下のお孫さま)が
皇位を継承された場面を想像して、このように
妄想する感覚は、もはや異次元と言うしかない。
このような未来図は、自ら「皇統に属さない」と認める
(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号)
旧宮家系子孫男子による皇位継承にこそ、
当てはまる表現だろう。皇統に属さない旧宮家系子孫男子による
皇位「継承の容認は日本の皇統断絶を意味する」(!)。読売新聞は「『男系か女系か』の前に
『世襲をいかに維持していくか』を優先し、
それを実現するための最良の知恵を」呼び掛けた。
産経新聞も「世襲をいかに維持していくか」、
読売新聞に劣らない独自の前向きな「現実策」を示さなければ、
気の毒だかその主張が多くの国民の心に届くことはない。ちなみに、新聞の発行部数は全体に減少傾向だが、
もともと部数が少なかった産経の場合、昨年は
116万部から約83万部まで激しく減らしているようだ
(「広告代理店の未来を考えるブログ」)。全国紙からの陥落どころか、
遂に100万部のラインまで割り込んだ
(読売新聞は約575万部。ブロック紙で最大の
中日新聞が、東京新聞などグループ全体で約243万部、
中日新聞本体だけで約173万部という)。10年後には、産経は僅か50万部まで落ち込み、
(その前に?)消滅か吸収されているとの
予測が現実味を帯びる。産経の紙面作りの「機関紙」化が危ぶまれて久しい。
このまま衰退と過激化が進んでしまうのか。
長年の読者としては心配だ。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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