昨今の「不倫は絶対悪」という風潮は、昭和〜平成の旧弊から令和への「価値観のアップデートである」という主旨の意見があるそうです。
「アップデート」という言葉、ゴー宣DOJO関連でもしばしば登場しますが、個人的には本業で使う映像や音楽の制作ソフトウェアに関して、かれこれ30年ほど常に対峙してきたワードでもあります。
その観点での比喩を交えながら、冒頭で挙げた言説への考察につなげてみます。
ソフトウェアのアップデートにおいては「新機能の提供」「従来の問題点の改良」などが施され、当然ですが「さらに良くなる!」という謳い文句で登場します。
ですが、特に我々業務系のユーザーは、アップデートで登場した新バージョンを実務環境にすぐ入れるという事はほとんどありません。
「新バージョン」にはほぼ確実に不具合が存在し、開発元のテスト段階では見つからなくとも、実践投入すると未知の問題が露呈するのが(色々と痛い目にあいながら知見が積まれ、開発元さえ織り込み済みの)「常識」だからです。
一方、新機能や改良のメリットは積極的に享受したいので、積極的なユーザーは業務とは分けて新バージョンの検証を進め、提供された情報ではない、自身の体験と知見を積み重ねます(うちではこのプロセスのために、検証専用のパソコンを1台用意しています)。
その上で、新バージョンで得られるメリットが、想定されるリスクを上回ると判断した時点で、やっと実際の業務に投入します。
私は、こうしたプロセスは保守思想の根底に存在する「漸進的なアップデート」に通じると感じています。
さて、上記を踏まえた上で「不倫は絶対悪」という「新バージョンのソフトウェア」は自分の業務用パソコンにインストールする価値があるか?を考えると…
まず、不倫(をしたとゴシップ雑誌に報じられた)当事者という「ファイル」がいきなり消失(社会から抹殺)されてしまう。これは、致命的な「バグ(不具合)」です。いきなり出現した「新基準」により、パソコンやスマホから画像や文書などのファイルが削除されてしまうソフトウェアなど、怖くてインストールできません。
また、やたらとCPUやメモリのパフォーマンスを食う(大騒ぎする)割には、何の生産性もメリットも生み出しません(むしろ、もっと話題にすべき様々なテーマが蔑ろにされてしまう)。
こんなソフトウェアがあったら、それは「マルウェア」(コンピュータに害を与えるよう悪意を持って作られたソフトウェア)であり、さも良いものであるように開発・販売している会社(「正義」を建前にして情報の不確かさも厭わずに記事を書くゴシップ週刊誌)は「反社」と言われても仕方がありません。
何も考えず拙速に変えるのでも、既にまともに動かないのに頑迷に変えないのも愚かであり、アップデートの遂行にはその都度の地道な検証や考察が必要です。
反社の商売に乗せられて、一時のバッシング快楽という「麻薬」に酔う行為も、そうした喧騒に過剰反応してメディアから即キャンセルしてしまう姿勢も、思考力の退行でありアップデートとは真逆の姿勢です。
「男系男子固執」もそうですが、安易に乗っかるだけで自分が高みに置かれたような気分に酔える観念は、総じてマガイモノ。自分も気をつけよう。