面白い企画には、勝手に自主参加します(笑)。
「戦争論」をはじめ、何度も何度も読み返している作品はいくつもあるのですが、一人での長距離移動などでまとまった時間のある時に手が伸びる事の多いのが「民主主義という病い」。
その「第2章 フレンチとギロチン」の結びの言葉、
フレンチには死と悪魔のかぐわしい匂いがする。それがわしの創作の感性を刺激するのである!
最初に読んだ時の、全身の産毛までが逆立つような感覚、今も忘れられません。
これは、表面でイキったチンピラなどからは絶対に出てこない、本物の不良の言葉です。
この章では、ギロチン斬首の血に塗れたフランス革命によって失業した王侯貴族のお抱え料理人が開いたレストランにより「美食の一般化」が成された経緯が描かれていますが、並の「知識人」だったら単なる「ウンチク披露」で終わっていたでしょう。
しかし、この章の描写!あえて、「〝それだけ〟では絶対に伝わらない」テキスト部分だけを抜き出してみます。
「パリ市民はギロチンの斬首刑を楽しみながら…あるいは槍の穂先に突き刺された首や、通りを首のない人体が引き回されていく光景を見ながら…異様な食欲を発揮していたのである!」
告白します。グロテスクな表現も多く含んだこのくだりを読むたび、自分の中の「あらゆる種類の欲求の存在」をダイレクトに認識し、きっと瞳孔が開いたアブナイ表情になっています(笑)。
本作を読んだ時点で、おぼっちゃまくん第1話との出会いから30年ぐらい経っているのですが「俺がよしりんに惹かれる理由」をとてつも無い濃度で認識した一作、そして一言です。
だから(?)「よしりんバンド」は「デスメタルなんかの数億倍は過激なバンド」なんだよ(笑)