公認取り消しに関する山尾志桜里さんの声明の中で、衝撃的だったのが次の部分。
出馬会見に関しては、当初の4月23日の予定が持ち越されて一旦は宙に浮く形になっておりましたので、私としては早期の開催の意思を党にお伝えしつつ、党からの判断を待った結果、6月10日開催の運ぴとなりました。代表・幹事長の同席を希望しましたが、辞退会見であれば同席するとのお答えは大変残念でした。ただ私には辞退の意思はありませんでしたし、会見するという自分の言葉を守る責任がありましたので単独で臨んだ次第です。
玉木雄一郎と榛葉賀津也は、擁立した候補予定者を守らないどころか、自分たちの保身のために「辞退」という形に導こうとしていました。
この言動だと、話し合いの時点で、玉木と榛葉の中で山尾氏の公認をご破算にしたいという思惑は明確だったはず。
それなのに、大荒れ必至の会見に、山尾氏を単独で臨ませた。
これは「無責任」というレベルではない。会見の場での「リンチ」発生を率先していた首謀者は、玉木、榛葉の両名に他なりません。
最大級の軽蔑しか浮かびませんが、では玉木・榛葉は「悪」かというと、その器すら無い(そしてそれ以上に〝悪〟質)と私は感じます。
大衆の暴走により発生するリンチには、暴力を発動させる一人一人に「悪を背負う覚悟」はありません。リンチへの参加者は、悪を背負うような土台となる「個」を喪失した状態であり、見方を変えるとリンチへの参加は「保身のための〝集への埋没〟」とも表せます。
玉木・榛葉の振る舞いは、これとまったく同種のもの。
SNS依存症である玉木雄一郎の中では、きっと「集」と「公」の区別など全くついていないのでしょう。これは、党のリーダーどころか、政治家としての根本的な資質を全く欠いているとしか言えません。
「集」はつねにぐらついて右往左往するもの。群集の勢いを狡猾に利用しようとする者は、同時にほんの少し躓いてコケただけでも、後ろから押し寄せてくる大群に踏み潰されてしまいます。そこから逃れようと右往左往するほど、躓く可能性と恐怖もどんどん上昇するというチキンレース。
そこから救ってくれる可能性を持った山尾さんを雑に切り捨てた時点で、国民民主党の命運は尽きており、早々に破綻すると確信しています。
余談ですが、本日変更された山尾さんのプロフィール写真、良いですね!
個の輝きを持ち、公への視線がぐらつかない人には、かならず連帯する人々が存在する。
これも〝確信〟しています!