小林よしのり先生の『戦争論』には、死に向き合って、自身の死の先の日本の未来を考えている特攻隊の心境が描かれていました。
彼らは自然な死を選べなかった。否応なく死を選ぶしかなかった。私たちはそんな死に方をしなくていいかもしれませんが、けれども、誰にでも「死」という現実はやってきます。
「小林よしのりがこの世にいない」
という現実はいつかやってきます。そのことから『戦争論』を読んで衝撃を受けた読者は目を背けてはならないと思います。
Xにはびこるネトウヨは特攻隊の勇ましさを分かってるふりはしますが、『戦争論』p343に描かれていた特攻隊のセリフ、
「日本が負けたあと、われわれの命は講話条約、その後の日本人の運命にも繋がっていますよ」
の精神は理解していません。
敗戦を予感しても、無駄死にとは決して思わない悲しい覚悟をネトウヨは理解していない。
では、私たちも本当に理解しているのか。
『戦争論』『天皇論』『コロナ論』『差別論』『日本人論』…先生の色々な作品に描かれていることを自身の生きる指針にした方はたくさんいるでしょう。
自分たちの人生の中で「小林よしのりがこの世にいない」時間の方が、長くなることだって十分にあり得ます。
先生には一応元気で長生きして活躍してほしいから、「じじいと言ってますが、100歳まで生きてほしいですよ」と言ってますが、
私たちは来るべき日に備え、
『戦争論』を読んだとき何が衝撃だったのかを振り返り、
今の日本の状況を鑑みて、『戦争論』が何をもたらしたのか、
未来の日本に向けて、『戦争論』の子である私たちは、何をするべきなのか、
を第1部では考えたいと思います。