ゴー宣ネット道場

BLOGブログ
みなぼん
2010.8.28 13:05ゴー宣道場

「運動ではない」と言うこと自体への疑念

よしりん先生から、
高森先生のブログ「『あさなぎ』への誤解(続)」
への返答です
絵文字:重要絵文字:お知らせ



まず、
わしの見方に事実誤認があったことは
申し訳ない限りです。

「あさなぎ」は
「大人の指導者が若者を募集し、
 靖国神社の存続という目的のために
 教育までしている」
のではないのですね。

了解しました。

若者たちが自発的に
勉強の場を持ちたいと神社に働きかけて、
神社がそれを受け入れて
始まったものなのですね。

彼らは年1回の総会と定例の理事会で、
自ら審議、決定していると。

「あさなぎ」はあくまで、
若者たちの自発性に支えられた集まりであると。

すべてわかりました。

それで高森さんは、

だから「あさなぎ」は「運動体」ではない

と主張されてるんでしょうか?

そこがいまいちわからなかった。

では、
沖縄の「ひめゆり記念館」の「語り部伝承」を
自らやり始めた若者たちは何でしょう?

やっぱりわしには
「運動」にしか見えないのですが?

わしは
「語り部伝承」なんて可能だろうか?
という疑念は大いにあります。

しかし、
たとえ反戦平和イデオロギーが根底にあって、
「語り部伝承」していたとしても、
わしはその若者たちの「運動」を
全否定する気はないのです。

見て、聞いてみなければわからない。

ひょっとしたら意義はあるのかもしれない
という期待もあります。

何度も繰り返しますが、
わしは「運動」のすべてを否定はしません。

「薬害エイズ運動」をやっていた頃、
それが「運動」であることを否定する者など
誰もいませんでした。

若者も「運動をやっている」と自覚していたし、
いつ日常に戻るかが問題だったわけです。

「教科書運動」も「運動」であることは当然で、
しかしわしは若者たちに向かって、
「良き観客でいろ絵文字:重要」と言っていました。

そう何度も、
若者を扇動するわけにはいかないですからね。
今度は参加させなかったわけです。

そして今も秘かに
「つくる会」の教科書運動には期待していますよ。

わしが疑念を覚えるのは、むしろ、
「運動」ではないと思いたがる心性なのです。

たとえば「あさなぎ」の若者たちは、
なぜ自分の市町村の神社ではダメなのですか?

神社の崇敬会までは
「運動体」とは思えないのですが、
なぜ明治神宮に
「あさなぎ」ができないのですか?

どうして靖国神社でなければならないのでしょう?

AKB48の応援団や
歴女的な趣味のサークル活動ではないはずです。
そういう単なる趣味ではないですよね?
遊びではないでしょう?

「あさなぎ」の若者の中には左翼はいないでしょう?
『ゴー宣』の読者もいるかもしれない。
大東亜戦争に対する価値観、
思想的背景があるはずです。

戦後的価値観によって、
靖国神社だから偏見を持たれて
「運動」と見られるのではないのです。



靖国神社だからこそ、若者が反応し、
「運動」が自発的に熱意を持って
始まってしまったのです。

「靖国神社」だからこそであり、
「ひめゆり記念館」だからこそなのです。

それは戦後的な左右の価値観を代表する
若者の「運動」かもしれません。

実はわしは
「あさなぎ」だけを評価して、
「ひめゆり語り部伝承」を否定したりしません。

「ひめゆり」の方も案外いいかもしれない。
それは見てみないとわかりませんが。

いずれにせよ
「あさなぎ」と「ひめゆり」が
根底で繋がっていると感じています。

自分たちがやっていることが
「運動」であるという客観性は
持っているべきであり、
その客観性があれば、
運動につきものの
自己愛集団化する危険を
制御できることになります。


しかし

「運動ではない絵文字:重要これは清らかな何かだ絵文字:重要
と思い込んでいる方が恐ろしいのだと
わしは言っているわけです。

わしがかつて若者だった頃(すごいね、この表現)、
わしはフォークと女にうつつを抜かし、
自宅で貧血になるまで本を読み、
漫画家になる闘志をめらめらと燃やしながら、
そこいらの奴らを全部馬鹿だと
思い込んでおりました。

破れたジーパンを一本しか持ってなくて、
とにかく金がないからバイトに次ぐバイトで、
当時は肉体労働ばかりして
短期に金を稼いでいたわけです。

バイトの仲間は学歴のないおっさんと、
ウエイトリフティング部の学生、
いつの間にか、
彼らに保護されてたことを知ったときは、
みじめだったなぁ。

その頃は身体に筋肉もついて、
夏休みの終盤には
ウエイトリフティング部の奴に
腕相撲で勝ったこともあるくらいだったのに。

そういうわしから見たら、
最近の真面目な若者が
奇異に見えてしまうくらいなんですね。

わしが形式を押し付けられても
躊躇を感じてしまうのは、
その頃の反体制的エネルギーが
未だに抜けきらないからなんでしょうね。

でもそういう若者も、
いつか靖国の大切さや、
天皇のありがたさに気付くから
面白いじゃありませんか。

みなぼん

次回の開催予定

第92回

第92回 令和2年 10/11 SUN
14:00

テーマ: 「『コロナ論』が炙り出したもの」

INFORMATIONお知らせ