ゴー宣ネット道場

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切通理作
2011.3.14 13:26

非日常の日常を生きるということ

みなぼんさんからのメッセージにある通り、

12回ゴー宣道場が中止になった代わりに、

会場だった大手町のビルで小林よしのりさん始め、

師範の皆さんとお話することが出来ました。

その模様は近日動画でUPの予定です。

小林さんは、当日になってもなお、

「中止にしたのがよかったのかどうか」

考えてしまうとおっしゃっていました。


道場の志そのものは変わらないのだから、

ここで一回お休みしてしまうのがよかったのか、悪かったのかと。

もちろん、安倍元首相が
震災という大事態に
まずは政治家として
全力で取り組まれるであろうことは当然予測され、

直後である13日は小林さんの方から辞退し、

そして安倍さんのゲストがなくなって、

仮に道場をやれたとしても
内容が事前に約束したものと違ってしまう以上、

やはり小林さんの判断は正しかったのだと

一同で確認し合いました。

また全国にいる参加予定者の方々が

身近の家族、共同体の現場をまず大切にする時、

最高責任者である小林さんが「中止」と告げることは

やはりあの時点で英断でした。

ただ私は、小林さんの、最後の最後まで

考え抜き、逡巡する態度から学ぶものも大きかった。

つまり小林さんにおいても、中止が絶対善で、

続行が絶対悪だったわけではないのです。

あれから、今週行われるさまざまな行事やイベントが

震災とその余波を理由に

中止になっています。

世の中は「自粛ムード」の方が前提になってきました。

こんな時期、深刻な顔をしていないと「不謹慎」と言われそうです。

しかし有本香さんも、

地震のニュースがテレビで続くのを見ただけで
精神が不安定になる人が
少なくないと言っていたように、

「なんでも自粛!」が必ずしも正義ではないと

考えさせられました。

時には息抜きにニュース以外の、

楽しいことを考えたりしている時間もあっていい。

直撃としては壊滅的なことがなかった東京でも

状況は刻一刻と変わり、

起きたことの余波がどのぐらいなのかという

認識も刻一刻と変わっていきます。

危機的状況の認識の共有が出来ない迂闊さは

避けねばなりませんが、

かといってハイになって

日常に戻れないのもいかがなものかということもある。

メールや携帯電話が十分使えない中で、

フリーズすることもなく機能しているTwittermixiでも、

有本さんの指摘するような誤情報こそあるものの、

「本当に必要なことはなにか」をより分ける視点が

お互いの呼びかけによって機能していることもまた

事実です。

そしてタクシーにも整然と並ぶ、

日本人の「公の意識」の高さを、

動画を収録していた時の座談では、

師範どうしその感銘を語り合いました。


しかし、解散した帰り道、

コンビニでもスーパーでも

パンやおにぎりが払底しているのを見て、

僕は奇異に感じました。

缶詰なら非常食として

買い込むのは分かります。


しかしパンやおにぎりなど、

賞味期限が今日明日のものを

いっぱい貯め込んでどうするつもりでしょう。

メーカーの方で被災地へ優先的にパンやおにぎりを配送している
から、絶対数が減っているのか……。
しかし、最初は置き場全面にあったであろう商品が払底していることはそれでは説明がつきません。

その時「そうか」と僕は思いました。

みんな、料理をする「気力」がなくなっているんだな、と。

「東京の被害程度で、ナーバスに

なってるんじゃない!」という

人もいるでしょう。

しかし、そうも言い捨てられないものを感じます。

震災の翌日も

前の晩は帰宅難民になったのにも関わらず、

朝早くから職場に復帰し、早々と「現場」を復旧していった人々。

あるいはその当日も、夜中までおにぎりや温かい飲み物を手配して

帰宅難民を迎えた公共施設などの人々。

彼らの、不眠不休の前向きな部分の裏にある「疲れ」が

ここに表れているのかもしれないと思いました。


かくいう僕も、部屋の片づけをしても

「どうせまた揺れたら崩れてしまうのだから」と、落ちてきた本

や物をそのままにしていました。


企業戦士や現場で立ち働く人々も、

家に帰ればそんな状態なのかもしれません。


これは、ある部分仕方がないと思います。


「復帰」しようにも、この間までの日常がいつ戻るのかどうか

現時点では定かではないのですから。


「また大きな揺れが起きるかもしれない」という

只中にいまの我々はいるのですから。


そんな中で「明日」と「今日」のつながりに賭けて、

社会的な立場をも手放さず、

自らを奮い立たせるしかない。


私は、
mixiTwitterにこう書きました。

「賞味期限の短いおにぎりやパンの、意味のない買占め行為はやめようよ。 

 今のこの時期手のかけた料理をする心の余裕がないのはわかるけど、ここは意識をしっかり持って、簡単に火を通すごはんぐらいは作って食べよう。

 いろんな事のメドがたたないいまだからこそ……自分の『生活』をしっかり持とう。

 自戒を込めて……。」


こんなことを書いて

「ふざけるな。そんなことやってる場合じゃないんだ!」

と言われるかもしれないと思いましたが、

思いの他賛同の意見を頂きました。


「こういう時には料理でも作ろうと煮物を作りました。

火やレンジなくても食べれる物は被災地へ。私達は普段の生活の普段の気持ち忘れたくないですね!

という声も頂きました。                       

(もちろん、作っている最中は火元を離れないようにしないといけないですよね)。


明日どうなるかわからない中で

「日常」を守ろうとしている人々がいます。

そこを見ようとしないで「天罰」

などと言い放つ立場から「公論」

は決して生まれないと私は思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

次回の開催予定

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