ゴー宣ネット道場

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切通理作
2011.4.9 22:26

震災で日本を分断しないために

 あの3月の11日、液状化でビルが右と左に船のように揺れ、水道管が破裂し、配管が全部外れ、地上から浮き上がった街の状態。
 しばらく電話が通じなかった時、彼は「日本中そうなってるのかと思った」と言います。
 
 千葉の友人から聞きました。

 建物の中のものは落ちてきたりしても、街の外観には大きな変化の印象がなかった東京の自分とは、世界の見え方がまったく違っていたんだと思いました。

「東日本大震災」勃発以降、東北地方出身の人に対して、その人がいま住んでいるの
は東京でも、反射的に「大丈夫だった?」と投げかけてしまう私がいます。もちろん、
その人のご家族のことも考えてしまうからです。
  ところが同じ関東だと、つい東京に住む自分と感覚的には地続きなものだと思って
しまいがちです。

 千葉に住む二人の友人と話していて、そのことを思い知らされました。

 一人は冒頭に挙げた彼で、千葉の浦安に住んでいます。
 
 ガス、水道は十日間復旧しなかったそうです。
 その間、追い打ちをかけるように計画停電が三回あったとのこと。
 
 そんな中でも、川一本向こうの東京は普通に機能しているので、都内に勤務している
と普通に会社には行かないといけない。
 避難した後、人がいない建物に空き巣も多く、住人同士の諍いもあり、人心荒廃が目
立ったとのこと。
 計画停電の際も川一本向こうの葛西には煌々と電気がついている。そんな不満も高ま
っていたのではないかと友人は言います。
 
 もちろん同じ浦安でも被災の度合いは違います。
 また空き巣や諍いにはマイナスな感情への傾斜がみられ、また刻一刻と変わる状
況の中でのひとつの心理的プロセスともいえ、そこにスイッチを合わせっぱなしにして
針小棒大に言いたてると、待っているものは「震災時の発狂状態」ということになりか
ねません。

 ただ、現時点で一度も計画停電が行われなかった地域に住むという特権的な立場に
あった自分と、すぐ隣にある県の人々との断層に想像力を持つことは必要だと思います。

 こうした断絶は、いたるところで起こっているでしょう。
 「日本を分断する」意識の増幅を育ててしまうのか、それを私たち一人一人が乗り越える
ことができるのか、が問われているのではないかと思うのです。

 さてもう一人の友人は、十代まで旭市に住んでいて、震災後手伝いに入りました。
 津波被害のあった旭市では死者、行方不明者がいる中で、夕方から夜にかけて
計画停電が行われました。
 旭市はディズニーランドがある浦安に比べて少数派だから見捨てられるのでは、という心情を老人たちから聞かされたといいます。

 コンクリートの冷えが深刻で、身体温めるものもない。たとえ家から持ち出せたもの
があったとして、体育館の中の電気コードも自分だけ使うわけにはいかない。

 お粥のパックの寄付があっても、電子レンジが一台しかないと、到底避難所の全員に
渡らないので、温めることも出来ず、配るのを断念する。人数分に足りないものは処分
してしまうか、職員たちで引き取って食べるしかないというような事態も起こっていると
いいます。

 差し入れには脂っぽいものが多く、90歳の老人にから揚げ弁当が渡されても、それを
我慢して食べる。しかも入れ歯も流されてしまっている。
 ある時、大学のコンパの流れで焚き出しに来た学生がいましたが、出てきたのはロー
ストビーフのようなものばかりだったそうです。しかし一部マスコミでは美談として報じられ
ました。

 それが善意ゆえであることを、むしろ被災者の側がくみ取って、お礼を言っているような
状態であると聞き、そういうことってあるだろうなと思いました。

 ある程度のズレは仕方ありませんが、前提となる意識の違いが、ニーズを外してしまう
ことにつながっているのではないかとも感じます。

 平時の、無数の中から選択可能な状態で必要なものと、まず基本として必要なものの
違い、人々のそのつどのニーズを聞いて、問題を共有しながら、この有事に取り組むという
ことが大切だと友人は言います。
 
義援金が被災者に手渡されるまで、時間がかかります。
ボランティアで行っている人たちの間では、その間にも自分たちが出来ることを
したいけれど、交通費ももちろんかかり、個人の持ち出しでは限度があり、
不安を感じている人も少なくないとのこと。

 波が引く時、海水に混じった、壊れたガラスの破片で身体を切ってしまった人たちも
多いのですが、医療設備もなく、マキロンをするかしないかで、後は自分で水洗いして
もらうしかない。
 これらのことは多くは報道されず、今も裸足のまま、何一つ物も持っていない70から80
歳代の人々の状況が三週間たっても継続しているという報告でした。

 こういう時期には、垣根を越えて地域のコミュニティが機能しているかどうかが大切
で、それが外部からの支援が被災者への援助にそのままつながかるかどうかの分かれ道
になっているといいます。
 地域共同体がしっかりしていればいるほど、外部にも開かれるのだという指摘にはな
るほどと思いました。
 顔の見える関係の中でそのつど判断していくこと。

 「復興」とは単なる「修復」ではなく、共同体を単位とする日本社会が
どこに向かっていかなければならないかという視座が必要です。

 一時の熱に浮かされるのでは終わらない公論を
いまこそ作っていかなければならないと思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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