ゴー宣ネット道場

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切通理作
2011.4.17 01:16

デオドラント化した「エコ」への違和感

小林よしのりさんが被災地へ取材に出かけておられる間、期せずして、私の母親が、都内にある実家を「太陽光発電にする」と言いだしました。

母は以前からそうしたかったというのですが、今回の震災を機に、決意を固めたとのことです。老人ホームに入るか、世界一周をするかどちらかにしようと、とってあった費用を太陽光発電に注ぎ込むのだそうです。

あっという間に契約を済ませてしまった母に唖然としましたが、原発にだけエネルギーを頼っている状況をどうにかしようとするとき、母なりに「出来ること」を考えたようです。

都知事の立場でパチンコ屋や自販機が電気を喰っていることを指摘するのは大事でしょうが、我々都民が他者の無駄使いばかりを見つけて叩いていればいいというものではないのもたしかでしょう。

3月11日以降に、私たちが学んだこと。携帯電話を持っていればどことでも「つながれる」というのは幻想で、電車がだめなら車に乗ればいいと考えても大渋滞でタクシーにも乗れない、電気も無尽蔵に提供されるわけではなく、電池や水を買い溜めすれば今度は被災地に回っていかない……。

つまり、どんなツールであっても、無尽蔵に需要に応える力などはなく、世の中すべてがバランスで成り立っているということです。

しかし、そこを学んだはずなのに、水不足の被災地をよそにぺットボトルを買い米を洗う東京の主婦は「鬼子母神」である……という小林よしのりさんの被災地からの発言は、我々日本人に示された大きな課題ではないでしょうか。

「原発を使いこなす資格が今の日本国民にはないね」という小林さんの「被災地からのメール」は、原発推進論者だけでなく、原発反対を唱えれば正義とばかりただひたすらヒステリックになっている人々をも撃ち抜くメッセージだと私は受け止めました。

そもそも原発事故は、たとえば東京に住んでいる私にとって、自分が生活するために確実にリスク負ってる人達が別にいるということの再認識をうながしました。

原発が建てられている場所やその近辺の人たちへの想像力に立脚していない原発批判。放射能が怖い怖いと言って東北の野菜を受け付けず、ペットボトルで水を買うのが母の愛の証だと思っているエコな主婦……それは、自分の生活の便利さのために原発が置かれた地域が犠牲になってもいいのだ……という考え方と根本的には同じです。

そしてこれは東北地方への差別感情に今後つながってくる問題だと思います。
 「東京湾に原発を建ててもいい」という石原都知事の発言は、彼が推進論者である以上、暴論ではありません。原発を推進していながら、本音では「放射能が怖い」と、普段は忘れることができるぐらい遠いところに原発を置いておきたいと願うのが当たり前だと思うよりは、よほどマトモです。

デオドラント化した社会の価値観を前提として「自覚しない鬼子母神」の無臭化願望をひたすら振りまくばかりでは、明日はありません。

もう一度、我々は自分自身の問題として、何を諦めて、何を選択するのか、考える時期に来ているのではないでしょうか。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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