ゴー宣ネット道場

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切通理作
2012.6.21 00:11

映画を見ていて自分自身が怖くなった

先日私は、ある映画を見てきました。
何故その映画を見に行ったかというと、予告編が面白そうだったのです。
渋谷が突然占領されて、109の前の交差点に軍隊がザックザックと行進し、空には軍用ヘリが飛び交います。
「ただいまより、日本は××国に占領されました」と独裁者のような軍服の男が宣言します。
そして<日本占領!>という宣伝の煽り文句がデカデカと出るのです。

世界征服とか、地球の危機とかではなく
「日本」を占領するというのは、
これまでの日本映画にない、
踏み込んだ設定だと思いました。

ところが、予告編の後半で、
この映画はある宗教団体が関与している
作品だということがわかりました。

主人公が選挙の宣伝カーに乗っている
映像も予告編に出てきます。

「なーんだ」と私はガッカリして、
一度は関心を失いかけました。

しかしその後数日、
予告編で見たあの「日本占領」のビジュアルが
脳裏に蘇えり、
「やはり見たい」という
気持が疼き始めました。

特撮映画が好きな私です。
「見逃して、後で幻の作品にでもなってしまったら、
後々後悔するんじゃないか」と思い、
とうとう映画館の前まで行ったのです。

しかし、私はすぐに中に入ることはせず、
キョロキョロと周囲を伺いました。

宗教団体が、タダ券を配ってて
くれてないかな?
と思ったのです。

けっして入場料をケチった
わけではありません。

私は評論家のくせに試写場という
閉塞した空間が好きではなく、
試写状を頂いた映画でも
お金を払って映画館に見に行く
ことも多い人間なのです。

こういう種類の映画にお金を払って、
入場料金が「お布施」になってしまうのが
なんとなくイヤだったのです。

でもどこにもタダで配っている人は
見かけなかったので、
私はついにお金を払って
映画館に入りました。

この映画は日本で一番古い映画会社の100周年映画でもあり、
ちゃんとしたプロの映画です。

「このお金は、映画に関わった
スタッフ・キャストの
ギャラの分だ!」
と自分に言い聞かせながら
私はチケットを購入しました。

さて、映画そのものですが、
1シーン1シーンはしっかりと作られていましたが、
全体を通して見ると、
ひたすら脱力でした。

まずがっかりだったのは、こちらが見たいと思っていたシーンは、
予告編がすべてだったということです。

渋谷に××国が進軍してきたときには、
既に日本は××国の指揮下に入るという方向で
政治的に話が付いていた
という設定なのです。

そもそも、なんで日本が占領されるに至ったかが問題なのに、
そこがまったく描かれていない。
予告編のこけ脅かし用の映像に騙されました。

しかし、たとえば自衛隊の人たちは
いったいどこへ行ってしまったのでしょうか?
なんの説明もありません。

劇中、民主党みたいな政権党が
国防にちゃんと向き合わず、
過去の戦争への過度の贖罪意識から武装を軽視した結果、
日本が占領されてしまった・・・・・・という反省が繰り返し語られるのですが、
最後は主人公の若者が
渋谷の群衆の前で宣伝カーに立ち、
愛し合おうと演説しただけですべてが解決。

彼に銃を向けていた××国の兵士たちも構えた腕を降ろし、
暗転した画面にスーパーが出ます。
「人々は争いを捨て、愛を取った」

な、なんじゃそれ?っ!
と思わず客席でのけぞってしまいました。

しかし、
「いまの時代の布教映画ってこうなんだ」
という風に捉えれば、
ある種勉強にもなるなと思ったのです。

この映画の主人公は、
政権党の議員を父に持つ青年で、
父に反発して自ら政党を作って
立候補しますが、落選します。

それですっかり落ち込んでしまい
やる気がなくなり放浪している内に
日本は占領されていたのです。

かって選挙運動を支えた仲間たちは
いまやレジスタンスの一員として地下活動して
いたということがわかるんですが、
主人公はその間、ただ放浪してただけなんですよ!

ハッキリ言って、ヘタレ男じゃないですか。

だけどかつての仲間は彼を責めないどころか、
こう言うんです。

お前の昔の選挙演説を撮った映像は、
いまや世界中のネットユーザーにバラ撒かれ、
人々の希望となっている、と。

お前がもう一度渋谷に立って演説すれば
世界は変わる・・・・・・。

というわけで、かつての仲間たちが、
ある者は身代わりに撃たれて死んだり、
他の者たちは人間の鎖となって街宣車を守ったりして、
それで彼が渋谷に再び立つという最後の演説のシーンを
成り立たせていくのです。

つまり、周りが全部お膳立てしてくれるのです。

普通の娯楽映画だったら、
ご都合主義はあるにしても、
主人公自身が努力して特訓するとか、強くなるまでの過程を描くとか、
死んだと思ったら生きていたとか、
なんらかの過程というか起伏があるじゃないですか。

「なんなんだこれ?」と思いました。

この主人公は教祖を重ね合わせた存在なのかもしれません。
だからみんなが祭り上げているのだという解釈は出来ます。

しかしそこには、この映画を見る一般信者や、
これからそうなっていくだろう人たちの
ナルシシズムもまた投影されている。

むしろ、そこにアピールしている。
・・・・・とはいえないでしょうか。

昨日までの自分を「反省」しただけで、
もう世の中まで変えられるぐらいに、

ものすごいハードルを低くしないと
入ってこれない領域というものがあるのかもしれない。

自分に自信がなかったり、
とことんまで打たれ弱い人の、
まさに「他力本願」な世直し願望。

否、自分で自分を肯定したい、
認めてもらいたい、
という気持がまずあって、

そのために、みんなで世直しをしているという
「遠い目標」を見据え、
かといって自分自身が弾圧されるのはイヤだから、
自分に実害はない程度の距離のところに
「陰謀」なんかも世の中には
あったりする・・・・・
そんな感覚なんでしょうか。

私は、この映画を見ることを通して
この映画を本当に必要としている人間を
そのように勝手にイメージして、
怖くなってきちゃったのです。

何が怖いって?

自分にも、どこかにそういうところがあると
思うからです。

さっき言った、多くの映画で描かれる
挫折、試練、特訓、復活・・・・・
そんなものにしたって、
所詮は画面の中でやっているだけのことで、
こっちは身体ひとつ動かしているわけでもないし、
複雑な人間関係の中で苦しんでるわけでもない。

映画は偉大な逃避であるという
スピルバーグの言葉のように、
もちろん、それでいいんです。

でも、それで現実まで変えた気になってしまうのは
ちょっと怖いんじゃないかと。

つまり、前こちらのブログに書いたように、
東京都民であるというだけで、
尖閣諸島の問題で「国を守っている」などという
気概を持てたような気になっていた
一時期の自分を思い出して、
とても怖く思ったんです。

これ、匿名でなにかを成した気になっている
ネトウヨの人達にも通じると思うんです。

いま、民主党政権以降のグラグラと、
震災以降の原発を含めた復興の遅れで、
みんなムシャクシャして、
短絡志向に走りがちなところが
あると思います。

そんな時代だからこそ、
私達は自分と社会の関係をきちんと
見つめ、また一度や二度齟齬があったぐらいで
内に籠るのではなく、
思考を続けていきたいと
思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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