ゴー宣ネット道場

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切通理作
2012.11.13 01:19

「サブカル・ヒーローの本質」は民主主義の限界!?

日曜日のゴー宣道場「サブカル・ヒーローの本質に迫る」に参加した人、ありがとうございます。

 

しょっぱなから小林さんが政治家に出馬するかもしれない!?という波乱含みの展開に、度肝を抜かれた人も多いと思います。

 

というか、僕自身も驚きました。状況はそこまでひっ迫している。もう言論や表現ではどうしようもないところまで日本社会は来てしまっているのか、と。

 

小林さんは、もし出馬して、それで負けたら、もうゴー宣をいままでのように描くことや、もちろんゴー宣道場が目指してきたような、民主主義の手続きの中で「世直し」を目指すということは、諦めねばならなくなるのではないか?・・・・・と語られていました。

 

「サブカル・ヒーロー」というテーマで架空の世界の話になるのかと思いきや、一気に現実と接続してしまいましたね。それも「民主主義の限界」という道場の根幹を揺るがす形で。

 

しかしヒーローというのは、本来為政者に任せていれば大丈夫なはずの「世直し」を、民主的な手続きを経ずに行使する者であり、本来民主主義がまっとうに機能していれば「いらない」存在である。

 

その文脈からすれば、バットマンにしろスパイダーマンにしろ、実はヒーローの物語って、フィクションだからこそ描けるストレートな現実そのものなんだと思うんです。

 

「ヒーロー」というと、スポーツ選手や歌手、タレントなど文化的リーダー、イコンとごっちゃにしている人も多いと思うのですが、実は真逆の存在です。

 

物語のヒーローは作品世界の中では称賛されず、むしろ健全な民主主義社会では邪魔な存在なのです。

 

裏返せば、ヒーローは民主主義の実現という虚構を、フィクションの側から撃っている存在でしょう。

 

日本のヒーローは、現実の犯罪者や社会を直接相手にせずに、異世界や超能力を持った敵との受け身の戦いの中で、次第に「守るべきもの」を発見していくというプロセスになっています。

 

それは、刀狩りした国の人間にとって、当事者意識に立つというところまでのプロセスが必要だからだと思います。

 

つまり日本人はなかなか当事者意識に立てない。

 

むろんいつでも銃で撃ち、撃たれる可能性のあるアメリカだって、民主主義はあるし、話し合いによる解決や物ごとの達成も信じられています。

 

その点で「アメリカのヒーローは民主主義と自由主義の相克だ」という小林さんの喝破にはうならされました。

 

話し合いの解決とむき出しの暴力が常に背中合わせにあり、そのことを意識しているアメリカ人の国民性。

 

だからこそヒーローの物語を、自分達の世界の物語として語れるのでしょう。

自分自身が持たなければならない「正義」を語れるのだと思います。

 

私達の日本社会は、自分でなにも決めなくても、そもそも暴力とは無縁だから幸せだといえるのでしょうか。

 

TPPでむき出しの競争にこれから入っていく時に、日本人がこれまでのように危機意識を持っていないまま巻き込まれて大丈夫でしょうか?

 

そして振り返れば皇統も断絶し、そして原発を止める「正義」も持ち得ない。

 

民主主義の瀬戸際、これ以上「正義」を持たないでいいのかという場所に、いまの自分たちは立たされている。

そんな状況を再認識した道場だったと思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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