ゴー宣ネット道場

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トッキー
2014.1.8 03:47よしりん先生の登場

ある母親の「私」から「公」への物語

よしりん参上!

靖国神社と、戦死した子への
母の思いについて、
素晴らしい投稿を
してくれた方がいます。


「ゴー宣道場」の門弟である、
女性の意見です。


子供を育てていると、ごく稀に
「実は子供を亡くしている・・・」という方に
出会うことがあります。
自分でも、もし子供が自分より先に
逝ってしまったら・・・と想像することがあります。

そのような事態に自分が遭遇してしまったら、
私はどのようにして気持ちの折り合いを
つけようとするのか、と。

先の戦争で亡くなった方々は、多くはまだ若く、
親より先に自分が逝ってしまうことを
「お許し下さい」と遺書に書いておられました。

結婚している方は残していく家族の今後を憂い、
子供には「お母さんの言うことをよく聞いて・・」と繰り返し、
奥様には「子供たちを頼む」との言葉を残して、
遠い地で亡くなっておられます。

私には息子がいますが、この息子がそこまでして
公的に決断し、「靖国で会おう」
「自分が倒れた時は靖国に来てください」との
言葉を残して遠い戦地で倒れたとしたら

「ここで死なせるために産んだわけじゃない」
・・・とは、思わない、思いたくないと思いました。
(この感覚は英霊を「犠牲者」だと
見る感情だと思いました・・・)

「息子は自分の思うとおりに決断し、
自分の人生を全うした。きっと本望であっただろう。
自分の思う使命を果たして、今は心安らかに
魂だけは靖国に帰ってきているのだね・・・」

・・・と思うと思います。
・・・いえ、そう思いたい!

そうでなければ、それほどまでの決断をした
息子はうかばれないし、親としても救われないです。

骨はなくとも、私の子供の魂は靖国にいる。
その壮大な物語を息子と自分が共有すること。
そこに、救いがあるような気がしました。




 
この母親の感覚は、
「私心」を「公心」へと昇華させた
リアルなものだと思います。


「公」のために死んだ者に対して、
残された者たちが、
どんな「物語」を信じれば救われるのか、
それが重要なことなのです。

 

 

トッキー

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