ゴー宣ネット道場

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切通理作
2014.4.20 06:21

ささやかな提言

  

いまゴー宣ネット道場の「切通理作のせつないかもしれない」では「ネットってこわいね」と題し、身内だけに向けて公開しているつもりでも、全世界の人が見られるネットは本来怖いものなのだということを再認識しようという内容で話しています。

 

狭い世界では常識だったり、それが当たり前だという「空気」があっても、そのまま外に出していいのか、考えてみるということは重要だと思って、話しました。

しかし収録から時間が経ってみて、それだけではまだ思考が足りないということに気づきました。

単に「表に出してはいけないことがある」というのなら、なんでも隠れてやればいいということになってしまいますし、誰かの陰口を叩いていてもいいということになってしまいます。

「自分はそういう言動をしてもいい」という奢りはなかったろうか。「内側は優位、外側はバカ」という選民意識はなかったろうか。そう常に自分に問うていれば、ネット上の諸問題というのは、起こりにくくなるのではないでしょうか。

それは、べつにやましいことをしていない場合……むしろよかれと思って積み上げてきた場の中で起こったことも同様です。

 たとえばゴー宣道場でもそれは起こります。道場には門弟資格というものがあります。これは、二回以上道場に参加すればだれでも持てるものです。門弟資格があることが一般参加者や、小林よしのりさんのメルマガ「小林よしのりライジング」のコメント欄に書き込む人たちに対して優位を持ってるということになりません。

 しかしついそう考えてしまい、それを外に向けて発信してしまった人がいたようです。


  たしかに門弟同士のやりとりの多くがなされるメーリングリストでは、投稿のスタイルの性質上、小分けに何度も連投することよりも、まとまった形で言いたいことを言おうとするお互いの気遣いもあって、一個の文章としても完成度の高い、かなり深い議論が展開出来る人たちもいます。

それに比べて「小林よしのりライジング」のコメント欄は、一行二行であっても、即応性のあるナマの反応にも貴重なものがあります。


 違うのは投稿のあり方の特性であって、優劣はないものと私には感じられます。むろん、ごくたまに度を越えて非常識な発言をする人も居ますが、どちらの場合も、お互いにそういう場合はたしなめられています。


 問題なのは、内側で作ってきた、積みあげてきた空気を是とするあまり、他に対して優位に立ってしまう心理そのものではないでしょうか。

それはあらゆる場において言えることだと思うのです。

先日の道場でテーマになった「ネットと排外主義」の問題を乗り越えるためにも、必要なことだと思い、書かせて頂きました。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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テーマ: 「コロナ後のリベラル」

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