ゴー宣ネット道場

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切通理作
2014.7.6 21:36

精神の身体能力を!

「危ない日本語」私の分の提案遅れてすみませんでした!

昨日小林さんにメールお送りしました。

 

私、これまでの人生では、どんなに忙しくても、ひとつの締切りにたいていはひとつの原稿を出せばよく、あとは編集者任せで、原稿の合間合間に違うことをやっても、むしろより脳みそが活性化していい循環が出来ているぐらいに思っていたのです。

 

それが昨年末からメルマガ『映画の友よ』を出すようになって、一つの締め切りに十数個の原稿を書き、他の人の原稿も見て、期日まえにバンバカ入稿するという事態に初めてなってしまいました。

「ああ、編集者さんが、入稿前に徹夜徹夜しても終わらないって言うのは、こういうことだったんだな」とライター生活20年目にして初めて思い知りました。

 

『映画の友よ』は月二回、第一、第三金曜日の発行なので、その波が二週間に一回は確実に来るのです。

 

小林さんから何かをやってくれと来るのが、その渦中にブツかってしまい「もう少々お待ちください」となって、小林さんがブログに怒って切通、何をしてるんだと書くことが二回ありました。

 

その二回目である今回は、なんと夏刊行の単行本のゲラチェック、それも大量の挿し込み、貼り込みと重なってしまい、単に労力だけの問題ではく、脳みそ事態もそのこと以外には動かないという状態になってしまったことをお詫びします。

そんな僕よりもっと忙しい小林さんが、道場を担われていることのすごさを改めて感じ、己の凡人ぶりを再認識しております。

 

また仕事の内容面でも、詳しくは言えませんが、道場でも話題になっている政治上の争点が、僕の仕事のテリトリーである文化面にも影響を与えるようになってきていて、そこでも時間をかけて話し合うという事態もありました。

 

しかしこれについては、むしろ道場で学んできたことの実践として、歴史認識の問題一つでも、日常の仕事の中で、どうそれを目の前の人にわかってもらうことが出来るかの訓練にもなっていると思います。

 

『映画の友よ』を始めたのは、50歳になって、ここらで、散発的ではなく、日本の文化との関わりにひとつの責任を持っていこうと思ったというのがあります。

 

最近このメルマガで、引退する台湾の映画監督・ツァイ・ミンリャンにインタビューしたのですが、この人は引退の理由として次のように語っていました。

 

「私は、映画に倦んでいた。近頃のいわゆる、エンタテイメント・ヴァリュー、市場のメカニズム、大衆の好みへの絶え間ない迎合、それらが私をうんざりさせた。私は、映画をつくり続ける必要を感じなくなっていた。もっと乱暴に言えば、観客をパトロンとして期待する映画をつくる必要を感じなくなった」

 

私は気持ちがわかるような気がしました。

商業主義が悪いというのではありません。

むしろ、ツァイ・ミンリャンが言っていることから僕が受け取ったのは、逆のことです。

 

健全な商関係の中で、1人の観客が、1つのスクリーンで、1つの出来ごとに新たに出会うことがなくなってしまい、あらかじめ客層が約束された、逆にいえば客層が求めるオーダーとしての想念をただ映像化する、約束事としての映画。

 

そこにしか映画が成立しなくなっているのというのなら、自分はもう、そこに居なくていい。ツァイ・ミンリャンはそう思ったのかもしれないなと気付いたのです。

 

僕が映画メルマガを始めたのも、自分にとっての文化が、ツァイ・ミンリャンにとっての映画と同じようなものになってしまう前に、何かしなくちゃと思ったからなのかもしれません。

 

出版の世界もまた同じです。あらかじめ読む層が決まっていて、そこに向かって予定調和な言葉を送り届けるだけのものになってしまったら、その世界にはもう、何の刺激もなくなっているに違いありません。

 

ただ本を出し、雑誌の編集部からのオーダーに応えているだけでは、文化の上澄みしか掬えない事態になってきてしまっている。そこで私は、自分の国の映画は全部見てメルマガを発行し続けるという無謀な旅に出たのです。

 

子どもの時、淀川長治さんが、テレビでこう言っていました。「皆さん、どんなに忙しくても、月に二本は映画を見ましょうね。そして、新しい映画を見に行ってください」

 

僕はサイレント時代から映画を見ている淀川さんが言った「新しい映画を見に行ってください」ということの意味が、メルマガをやっていてよくわかるようになりました。

 

古典をただいとおしむのではなく、新しいものと出会っていくからこそ、そこにつながる伝統も再認識できる。その歩みを止めたら、伝統も死ぬ。

 

僕はいま、新しい映画を見ることで、いままで見た映画とも出会い直している気分です。

 

メルマガを読んでくれる方が、常に新しいものと出会っていくという時に、少しでも役に立つ視点を提供していきたいと思っています。

 

もちろん面白くなかったら、すぐに購読をやめられるよう、まず最新号から入る人は無料で読めるようにしています。

 

僕のスケジュールは、メルマガを金曜日に出したら、次の週は雑誌や単行本の仕事と並行して、一日に2本は映画を見ます。基本、試写の時間に合わせて見る日は、その帰りに、公開中の映画を一本は見て帰るようにしています。一日に四本見る時もあります。

 

試写状は僕のような特に有名人でもない人間には、すべての会社から送って頂くわけではないので、半分以上の映画はお金を払って見ています。

 

有料メルマガとはいえ赤字で、みるみる貯金が減っていってますが、うちのカミさんは一言も苦言を呈さず、毎号読んで感想を言ってくれます。彼女が「もっと金になることだけやれ」という人だったら、僕は続けられないでしょう。

(もっとも、浮気をする時間など一切なくなってしまったので、家族関係は良好です)。

 

さて、その次の週はもうメルマガ発行の週です。

週明けの月曜日から木曜日までは怒涛の原稿書きとなります。

特に水曜を越すとあとは嵐のような状態になります。

 

ですから小林さん、毎月第1、第3金曜日の週は、こういう状態ですので、対応できなくなってしまうことがあり得ます。

 

ただし、僕は道場がある限り、自分も許されるなら、参加し続けたいと思っております。

社会への回路があるからこそ、文化的なことも生きる。

伝統と現在との関係は、まさに道場から学んだことなのですから。


こんな中でも、ブログや、道場門弟の方々のML投稿はいつも読ませて頂いてます。

 

笹さんのストリップに関する記述はよくぞ言ってくれたという感じです。

女性が裸で勝負するというと、必ず他に何もないからだろうとか、何も出来ないからだろうと言うバカな男が居ます。

僕は前から、それ自体が偏見だと思ってきました。

 

その世界の中でも競争原理があり、メインステージで生き残っていく人は一握りなのに、そこを見ない。

 

そして身体を使うことより、頭だけ使うことが何か偉いことのように思っている。

 

そんな男性たち、ないしはそのような男性の価値観を内面化せざるを得ない女性たちも少なくない中で、社会ではインテリ側に分けられているだろう著述業の笹さんが、敢然と評価を隠さないと言うのは胸のすく思いでした。

 

映画の世界も、企画や監督、脚本家の力が大きいのは事実ですが、観客が直接見るのはあくまで生身の身体を持つ俳優であり、それを多くのスタッフが支えているのだということが、僕も続けて見ることによって、前よりわかってきました。

 

「ああ、映画は役者の輝きと動きのバネ……身体能力が中心にあるんだなあ」と。

 

僕も精神の身体能力だけは、怠らないようにしたく思います!

 

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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テーマ: 「愛子皇太子の可能性」

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