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高森明勅
2014.8.30 07:03

蘇我入鹿を「林太郎」と呼ぶ理由

飛鳥時代の人物、蘇我入鹿を知らない人はいないだろう。

かつて、「入鹿」というのは、彼を悪者扱いしたい『日本書紀』
採用した蔑称で、本名ではない、とする学説があった(
門脇禎二氏)。

しかし古代史上、蘇我入鹿以外にも「入鹿」と称する人物は多くいた。

またイルカは、古代では神事に関わる神聖な動物とされている。

だから、とても蔑称とは言えない
(坂本太郎氏・加藤謙吉氏・塚口義信氏・
荊木美行氏ら)。

ならば、入鹿が本名であっても、何の差し障りもないはずだ。

また別に「鞍作(くらつくり)」という名もあった。

これは恐らく、入鹿の養育に鞍作氏
(6・7世紀に大和で活躍した百済系の帰化氏族)
が当たっていたからだろう。

『家伝』(鎌足伝)には「宗我大郎(そがのたいろう)」と記す。

これは無論、入鹿が蘇我本宗家の惣領だったのによるだろう。

ここまでは、特に不審はない。

ところが、『日本書紀』皇極天皇2年11月の記事に、
入鹿が「林臣(はやしのおみ)」
とも呼ばれていたことを伝えている。

更に『上宮聖徳法王帝説』には「林太郎(はやしのたいろう)」
との記述がある。

これは一体、何故か。

この点については、既に“入鹿の母が林臣氏の出身だった為か”
との推定がなされている(
東野治之氏・荊木氏)。

林臣氏は、武内宿禰(たけしうちのすくね)の後裔氏族の1つ。

この推定に従うべきだろう。

私は先に、物部弓削守屋の姓に「弓削」とあるのは、
母が弓削氏の女性だった(『先代旧事本紀』)
のによることを
指摘した。

守屋は、『播磨国風土記』には「弓削大連(ゆげのおおむらじ)」
とも記されている。

こちらでは、専ら女系による母方の姓のみとなっていた。

かかる事実とも考え合わせて、
入鹿の「林臣」「林太郎」
の場合も、
母方の姓による呼称と見るべきだろう。

即ち、シナ父系制に由来し、ひたすら男系のみによるはずの「姓」も、
わが国にあっては、女系にも血統としての意味を認める在来の伝統に、
強く規定されていたのだ。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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