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高森明勅
2014.9.11 12:15

『昭和天皇実録』と「富田メモ」

昭和天皇はご生前、靖国神社に戦前・戦中に20回、戦後に8回、
合計28回ご親拝になっている。

だが、昭和50年を最後に以後、遂に途絶えてしまった。

その理由は何だったのか?

いわゆるA級戦犯を合祀したのをご不快に思われたからだ、
という見方がある。

その根拠として挙げられるのが、「富田メモ」

今回、一般公開された『昭和天皇実録』にも、
このメモの存在は一応、取り上げられたようだ。

しかし同メモは、
いわゆるA級戦犯合祀から10年もの歳月を経た後の、
昭和天皇のご発言と称するものの断片を、
舌足らずに書き留めたものに過ぎない。

信憑性にも、解釈の仕方にも、多くの疑問符がつく。

実はこの他にも、関連の資料はいくつかある。

(1)岩見隆夫氏『陛下の御質問』
2)徳川義寛氏『侍従長の遺言』
(3)岡野弘彦氏『
昭和天皇の御製 四季の歌』
(4)『卜部亮吾侍従日記』など。

これらが、実録で触れられているのか、どうか。

しかしどれも、中国が首相の「靖国」参拝に対し、
にわかに抗議を始めた、
昭和60年8月以降のものばかり。

いわゆるA級戦犯の合祀が行われた昭和53年以降、
昭和60年迄の間に、
昭和天皇がこのことに言及されたことを示す記録は、
これまで皆無だった。

そもそも、A級合祀以前の昭和50年、
それまで当然のように続けられて来た靖国参拝が突如、政治問題化。

その為、既に天皇陛下のご親拝が継続困難な局面に突入していた。

このことは、実録によって改めて裏付けられたようだ。

だが一方、
昭和53〜60年の間に昭和天皇が合祀をご不快に思われ、
断固としてご親拝中止を決意されたことを窺わせる新たな史料は、
見つからなかったらしい。

例大祭での天皇陛下からの勅使のご差遣や、
弟宮の高松宮・
三笠宮両殿下をはじめとする皇族方のご参拝などは、
合祀後も別段、変わりなく続けられている。

そうした事実も勘案すると、
A級合祀→ご不快→ご親拝中断説は、
いよいよ不審が深まったと言えよう。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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