9月6日に秋篠宮家のご長男、
悠仁親王殿下の成年式が行われる。
まことにめでたい。但しこれは、男性皇族が
成年を迎えられたことに伴う儀式であって、
皇位継承の資格や順序には、直接、何ら関わらない。
従って、この儀式により、構造的な欠陥を抱える
今のルールのもとでの皇位継承順序が、
あたかも固定化されたかのような錯覚に陥ってはならない。このことは7月25日に公開されたプレジデントオンライン
「高森明勅の皇室ウォッチ」でも、指摘した。
この点に関わって、毎日新聞の報道(7月29日公開)
に注目したい。「一連の行事内容は陛下や秋篠宮さまとほぼ同じ。
一方、陛下や秋篠宮さまの際は公的な行事として
宮殿で開いた食事会を、今回は都内の民間施設で開く。
内宴は私的、昼食会は公的な行事としていずれも
秋篠宮夫妻が主催する。公的な昼食会も民間施設で開く理由について、
宮内庁は『宮殿は天皇の諸行事が行われる場合であり、
宮家行事を宮殿で開くことは適切ではない』としている」天皇陛下の前例を振り返ると、
昭和55年2月23日に成年式(加冠の儀、朝見の儀)が行われ、
同25日に上皇上皇后両陛下(当時は皇太子同妃)主催の
「祝宴の午餐」「祝宴の晩餐」が開かれた。午餐は宮殿·豊明殿、晩餐は同·連翠にて御会食があった。
昭和天皇と香淳皇后はどちらにもご臨席。秋篠宮殿下の場合は、昭和60年11月30日に成年式。
上皇上皇后両陛下主催の祝宴は12月3日、
豊明殿は使わずに、午餐も晩餐も連翠で催された。
昭和天皇と香淳皇后は晩餐にだけご臨席になった。この時の祝宴の主催者はどちらも
上皇上皇后両陛下であり、“直系”の皇太子及び
その妃として内廷皇族というお立場。
その為に宮殿で行われた。それに対して、今回の主催者の秋篠宮同妃両殿下は
“傍系”の皇嗣及びその妃として、
内廷外=宮家皇族。
なので、宮殿を使うことを避けられた。敬宮殿下の成年行事(令和3年)の時は
コロナ禍の最中だったので祝宴などは開かれなかった。
しかし、もし開かれていたら、天皇皇后両陛下主催だから
当然、宮殿で行われていたはずだ
(秋篠宮家の姉宮の場合は宮邸で開催)。このような直系·傍系の区別を重んじる考え方に立てば、
悠仁殿下の成年式の日程を巡る謎も解けるかも知れない。
民法の改正によって、悠仁殿下は昨年9月6日に
ご成年を迎えられている。
しかし丁度、大学受験を控えられた時期だったので、
延期になった。
それは当然の対処の仕方だった。だが成年式が丸1年も延びて、
19歳のお誕生日に当たる今年の9月6日に
行われるとの決定は、率直に申して
不可解との印象が強かった。しかし、皇室典範には
「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、十八年とする」
(第22条)という規定が、今もそのまま残っている。
これを踏まえると、18歳のうちは成年式を
敢えて控えるという方針は、
或いは直系·傍系の区別をないがしろにしない
奥ゆかしい配慮によるのかも知れない。▼高森明勅公式サイト
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