今朝の「ゴー宣道場」設営隊募集も、熱意ある有志によって、
瞬時に決まった。
「ゴー宣道場」にとって、「天皇」や「道徳」に関する議論は
何度やってもいいと、わしは考えている。
それが危ういところで存続している価値であり、将来に残せる
か否か分からない遺産であるからだ。
観念的であるがゆえに価値を普遍的に伝えるのが難しいのだが、
「ゴー宣道場」でしか議論できないテーマではなかろうか?
我がスタッフのポカQが、白鵬が「猫騙し」の手を使ったこと
をえらく嘆いている。
それを評価する声が意外に多いことに対して、彼は失望している。
ポカQは無類の相撲ファンで、白鵬ですらこうであることを
嘆く。
横綱の「猫騙し」を批判した北の湖の死を嘆く。
わしも同意だが、こんなことを言ってると、年寄りの繰り言と
しか思われなくなるかもなと二人でため息をついている。
ここにも「道徳」の相対化が現れているのではなかろうか?
「道徳」をテーマにすると、あまりにも例題が膨大に出すぎる
のである。
そのこと自体が日本の危機であると、わしは感じている。




















