わが知友で都立高校教諭の中澤伸弘兄。
古書店で、
仮綴じの和本を手に入れた。
文章は毛筆で書かれ、
所々に朱で加筆訂正がなされている。
和紙に「高輪御殿」と刷られているのが、彼の目を惹いた。
高輪御殿は、
高松宮殿下がお住まいになった。
今上陛下のご譲位後は、
今の東宮(とうぐう)御所が仙洞(
改築されるまで、
元々は、明治天皇の第6皇女、
常宮(
第7皇女、周宮(かねのみや)
お住まいになる為に建てられた。
同御殿の関係者が書いた可能性が予想できる。
本文は流麗豁達(
まだ幼い少女が書いた文章と、
内容は紀行文。
第5回内国勧業博覧会を見る為に出発したとあるから、
最初は御殿に仕える女官が書いたものかとも考えた。
しかし、
見ると、「我(わが)
と書かれている。
「我師」と言いながら「
又、次のような記述も。
「御父母両陛下 御兄宮同妃殿下の御使(おつかい)
を始め久邇宮(くにのみや)
その他宮内大臣はじめあまたの人々の出迎へらる
「(明治天皇が産湯を使った場所を)
「御父母」に「陛下」との敬称。
「父帝」と書いている。
よって、
紀行文であることが判明する
下田歌子の伝記(『下田歌子先生』)の巻末年譜には、
これにより、
お書きになったと考えられる。
しかも、
静岡の神部浅間大社の記述から、
桜をお手植えになった事
となると、
とても桜のお手植えは無理だろう。
一方、常宮昌子内親王は明治21年のお生まれで、数え5歳。
お手植えは可能だろう。
概略、以上のような検討を経て、
古書店もそんな貴重なものとは知らずに売ったのだろう。
まことに興味深い。
詳しくは『
復刊第54号の同兄「




















