以前読んだ本の中に
「人類を愛するのは易しいが、隣りの人を愛するのは難しい」
という一節があり、記憶に残っている。
「にんげんっていいな、みんな、なかよし」と手をつないで
歌うだけなら幼稚園児にもできるが、
隣りの国とつきあっていくには大人にならなければならない
という風に言い換えてもいいと思う。
「人類愛だ、みんな仲良くしよう」というのは、
それを言った人がなんの責任も負わないメルヘンみたいな言葉だ。
「やさしさ」という大風呂敷を広げて、得意になっているだけで、
メルヘンの世界と現実の世界を混同していると思う。
「となりの人としっかりつきあう」となると、お互いの生い立ちや
生活背景、現在の状態から生じる価値観や性格、考え方、感じ方、
主張が違ったり、思惑があったり、摩擦を生んだりという
《現実》を見なければならなくなる。
その《現実》を覆い隠そうとするのが、無責任なメルヘンの人が
広げる、「やさしさ」の大風呂敷だと思う。
韓流ブーム、心あたたまる民間交流、それはそれで楽しむ人が
大勢いることは、わざわざ叫ばなくてもみんな知ってることだ。
日韓の外交の過程を「やさしさ」で覆い隠して、
国際法や国際条約をぶち壊しても構わないと思ってしまう
メルヘンの人は、全然「やさしく」ない。ただの破壊者だ。